8月14日を常識とする歴史教育の現状を知っていますか
2019年8月14日
私が仕事上愛用している、学研の中学の社会科用語集には次のような記述があります。
【日本の降伏】1945年8月14日、日本がポツダム宣言を受け入れ降伏したこと。国民には、翌15日に昭和天皇がラジオ放送(玉音放送)で知らせた。
おやおや。学校ではどうやら、8月14日ということで日本の降伏を教えているということのようです。これはとても健全な歴史認識だと感心しました。
天皇制に反対するとか、憲法第九条を守れとか、一部のクリスチャンの指導者や主だった人がよく意見を述べていますが、しばしばその言明には、8月15日という日付がよく出てきます。中には、8月15日は終戦記念日ではなく、敗戦記念日です、と丁寧に説明している場合もあります。しかし、どちらにしても、15日を区切りとすることにまんまとのせられていることには、無頓着に過ぎるように見えて仕方がありません。
毎年詳述していますのでここでは繰り返しませんが、戦後十年ほど経つころに米軍統治から独立したとたんに、天皇中心の時代に戻したい計画をもつ考えをもつ人々がいろいろ動き始めたと言われています。それまでは終戦(敗戦と呼び替えてもここではさして違いはない内容です)は、9月2日の降伏文書調印か、いまの教科書が教えるように、8月14日のポツダム宣言受諾かがおよそ理解されていたようだったのですが、それが天皇の声が流れた15日に、ずらされてしまったというのがあらすじです。
いま、中学の各教科書が教えると言いましたが、現行教科書をすべて調べることが自分にはできませんので、分かった限りで言いますと、概ね教科書は、14日の受諾をきちんと記しているようです。ただしもちろん、意図的にそれを書かず、15日を強調する教科書もあります。ご想像のとおり、育鵬社の教科書です。これがどのような意図をもつ教科書であるかは、天皇制について意見をもつ方が皆さんご存知のとおりです。
学校教育でこれほど、14日を適切に伝えているのに、世の中はどういうわけか、15日、15日とマスコミでも何でも中心に据え、天皇制に反対する主張自体が、15日しか口にしないというのは、どういうわけでしょう。人間、思い込みは怖いものです。また、自分が昔受け入れたことから逃れられないものです。いまの歴史教科書が、聖徳太子はその名も変わっているし、懐かしい征夷大将軍その他の肖像画を採用せず、最古の貨幣も縄文時代の認識も、またかつての仁徳天皇陵云々も、みんな変わっているわけですが、昔習ったままの知識から離れられないありさまであることを知るならば、クリスチャンもまた、憲法にしろ元号にしろ、謙虚に学ぶことから始めないと、とくにオピニオンリーダーは、大きな責任があると思うのですが、如何ですか。でないと、適切な歴史教育を受けた若者が、教会の思い込みの主張に、古さしか感じず、ついてこないのも当たり前だという気がするのですが。
【追伸】Wikipediaからの引用で申し訳ないのですが、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が1982年の閣議で決定され、それを8月15日と定めたといいます。それ以前に「全国戦没者追悼式」は、1952年に閣議決定により5月2日に行われ、次は1959年3月28日、そして1963年に初めて8月15日に、日比谷公会堂で行われています。翌1964年に靖国神社で8月15日に開催され、1965年から日本武道館でのいまの形になったと記されています。このように8月15日を重視することを含めて、いずれも自民党の閣議決定で決められたものと見てよいかと思います。
また、8月15日の法的な根拠は、引揚者に関する法律で1957年、1967年に成立したものがそれを終戦日と呼んでいるほかはなく、やはり閣議決定に過ぎません。戦後まもなく8月15日をことさらに重視した様子もなく、戦後一定の期間が経ってから、閣議が15日を、つまり天皇が日本の中心となって歴史を刻んだと印象づける意図を含んだ形で15日を、既成事実のようにしていったことが窺えます。ここに乗せられている自分たちの姿から、まず把握する必要があると思うし、その構図自体を問題としないでは、実に空しいように思えて仕方がないのです。歴史に素人の私の捉え方が誤っている場合には、どうぞ修正のご意見をお願いします。
ところで高等学校の日本史の教科書では一般に、9月2日を終戦の日としており、その他海外諸国の戦勝記念日は、国により様々事情が異なり規定が違いますが、アジアの一部で独立に関わる国が少しあるほかは、8月15日に注目することはあまりないようです。