京のぶぶ漬けとアブラハム

2019年7月15日

偏見をもって言うわけではないし、そう受け取られてはいけないのですが、福岡で生まれ京都で一時暮らした経験は、私に文化の違いというものを、私に身を以て教えてくれたような気がします。
 
京都は関西に属しますが、大阪とは全く違う文化です。なにせ京都は千年の間「都」でした。本来、天子の住む都という意味では「京」だけで十分でした。歴史的には複雑な背景やエピソードもあるようですが、さらに「京の都」という意識や、すでに平安期から「京都」という呼び方もあったという声があります。さらに、江戸が後に天皇を迎えるにあたり「東の京」と名を替えたことからも、「京」の字にこめられた意味が伝わってくるような気がします。
 
京都の高校生は、東京の大学に行っても「上京」とはたぶん見られません。せいぜい「都落ち」であって、京都に入ることを言う「上洛」「入洛」(洛は洛陽からくる)の感覚も消えないのではないかと思われます。
 
有名な伝説に、「京のぶぶ漬け」があります。無粋な説明は省きます。しかし私はこのお決まりの「まあ、ぶぶ漬けでも食べていっておくれやす」という言葉は一度も聞いたことがありません。そんな有名なことを実際に口に出すほど京の人は無粋ではありません。そんなど真ん中直球は来ないのです。あらゆる会話の端々に、仕掛けられた「お約束」のようなものがあります。つまり、何か好意的な誘いがあったとしても、「いえいえ、結構です」という自然な会話が始まることを投げかけているだけであって、相手を引っかけようとするためのものではないということ。「食べていっておくれやす」は、「なんのお構いもせなんですんまへん」の別の表現であるだけであり、そうやって日常が進んでいくに過ぎないのです。
 
平安貴族の文化は、思ったことをずばずば口にするようでは、無粋とか粗野な田舎者と見なされ、生きてはいけない文化だったと思われます。万葉集の時代はそれでよかったとしても、古今和歌集となれば、できるだけ婉曲に、隠れた思いを含め飾り、それを見抜く者だけが見る目のある文化人であったことを確かに伝えているのではないでしょうか。政策にしてもそうです。本音を直接口にすることなく、真綿で締めるように政敵の失策を責め、そいつを自滅させたり天子の勅令を誘ったりして、また強い者を味方に付ける方策を案じ、自分が権力闘争の中で勝つことを慮るわけです。死刑制度はなかったと言われる平安時代ですが、実際に野蛮なことをしなくても、言葉で相手の政治的生命を終わらせればそれで十分だったのです。当然ストレートに交渉などしません。庶民ならともかく、貴族ですから。腹のさぐり合いをする中で、培われた会話術が、日常のあたりまえの会話となっていったとしても、それを汚いとか腹黒いとか言われる筋合いはないというものでしょう。
 
ここで突然ですが、創世記23章に目を向けたいと思います。聖書の中でアブラハムが、妻サラの墓地を求めるシーンです。127歳でサラは死にます。場所は、死海の西に聳える山地の中にある「キルヤト・アルバ、すなわちヘブロン」でした。嘆き悲しむアブラハムでしたが、当時彼はその地に権利をもつ者ではなく、寄留者に過ぎませんでした。そこで妻を葬るために土地を得る必要がありました。そこに住むヘト人たちに、「墓地を譲ってくださいませんか」と頼みます。
 
するとヘトの人々は答えます。どこでも「最も良い墓地を選んで」葬ってあげてくれ、誰も「墓地の提供を拒」むような者はいませんから、と。アブラハムは「改めて」頼みます。「マクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いします」と。恐らくその洞穴の持ち主であろうヘト人のエフロンという者が代表して答えます。「あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます」から早速葬ってくれ、と。アブラハムは「民の前で」また挨拶して言います。「どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください」と。
 
ここでエフロンは「あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください」と言います。「アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ」ました。値切りもしないで即金でその額をエフロンに払います。そうして、アブラハムはこの土地を購入し、サラを葬ります。聖書の記者はわざわざ締め括りにまた「その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった」と記します。
 
如何でしたか。奇妙な会話だと思いますか。この箇所について説教することも教会ではあろうかと思いますが、ある説教では、ヘト人たちがアブラハムの立派さに感動して好意を示したが、アブラハムはそれでも、神からの恵みでない限りはきちんとお金を払いますと律儀に誠実を貫いたのだ、と語られていました。
 
そうですか? これは京都のぶぶ漬けと同じにしか私には見えません。ヘト人はまず基本的に、アブラハムのようなよそ者がこの土地を買うなどということを認めていません。拒んでいるのです。断るために、ただでやる、みたいなありえないことを言います。これで元来、これはダメだと見切りをつけて土地購入を諦めるのが当然なのです。しかしアブラハムはどうしても食い下がった。銀を支払う、と真顔で言います。ヘト人たちは、断ります。そして自分のほうから「洞穴」を持ち出します。これは、洞穴を買うなら道を開いてもいいかな、という誘いです。アブラハムは本気であることを伝えます。そこで、洞窟の所有者が、銀四百シェケルという具体的な数字を出します。これは殆どありえないくらい法外な数字だと思われます。銀4.5kgを超える分です。換算の仕方にもよりますが、私たちの数億の感覚ではないかと計算した人がいます。あのエレミヤが、滅ぼされる故郷アナトテの土地を買えと主に命じられ、アホかと見られるような行動をとったのですが、そのとき土地を購入するために支払った額が17シェケル。これでも家は建つでしょう。アブラハムの記事もエレミヤ書の時期と大差ないとするとこの400シェケルが如何にむちゃくちゃであるかが分かると思います。エフロンもまさかと驚きます。マジかよ。そこまで言うんならしゃあないな。聖書の記事は、この正式な土地所有を重視していますが、それはともかく、この交渉は、いまのような実情だったのではないかとしか私には思えないのですが、どうでしょうか。
 
この私の理解が歴史的に間違っているとしても、聖書は、その額面通りに受け取ってよい場面と、裏に隠された心理や事情を読み取らないと真意を見失う場面とが混在しています。パウロなどは、相当な皮肉を以て言い放ったり、また激しい敵意を見せたりもしているように感じられますし、フィレモン書も、田川建三氏が言うように、相当に脅しをかけているように読み取ったほうが自然であると私も思います。
 
福岡の人は、そしてたぶん私も地では、素直に表面どおりに受け取るタイプです。関西人からすれば、なんでこの皮肉が通じへんのやろ、と不思議に見えることが多々あるかと思います。京都にしばらく暮らして、文化の違いを教えられました。額面どおり真に受けて喜ぶ者として、心の中で「田舎もんやな」と軽蔑されたことも度々あったことでしょう。それでも、誠実でありさえすれば、それは伝わります。「田舎もんやけど、ええひとや」と思われたら、大事にしてもらえます。冷たくされるものではありません。そうやって京都は、学生を大切に扱ってきました。だから、すくすく育った学生は、のびのびと大きな仕事をする人となっていくことが多いのでした。
 
聖書を読むにしても、穿った見方が必要な場合があります。その言葉の裏に何があるのか。言わなかった言葉のほうに、どんな真意があるのか。これはひねくれた見方であるかもしれませんが、私はそうやって、神の深い愛や思いやりを見つけては、ひとり悦に入っている者です。この楽しみは、癖になります。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります