【聖書の基本】フィリピでの出来事

2019年6月30日

フィリピの信徒への手紙は、その構成に謎があったり、そもそもどこから発信していたのかはっきりしなかったり、必ずしもクリアな素性ではないにしろ、素直に読めば理解しやすく、心に響く言葉も短い割にはいろいろある、お得な文書であるかもしれません。
 
パウロはユダヤ人でない人々に福音を広める使命を受けました。パレスチナはオリエントないしアジアの地方だったと言えるでしょう。そこからパウロはユダヤ外へと旅をしてイエスがキリストであることを伝えていくのですが、アジアからヨーロッパの区域に初めて入り教会共同体をつくったのが、フィリピの街でした。
 
使徒言行録16:11-40に、そのときのことが書かれてあります。ここには、記憶すべき二つの事件が証言されています。
 
ひとつは、リディアという女性が信仰をもったこと。「紫布を商う人」だといいますから、これは超高級衣料品業界の人です。紫は高貴な色であり、それを出す天然素材が非常に貴重だったからです。一般人は着用できなかった色ではないかと思います。小アジアのティアティラ出身だと言いますがそれ以上の素性は分かりません。
 
出会ったのは、「祈りの場所があると思われる川岸」でした。ユダヤ人だったのかもしれませんが、そうでないのにユダヤの神に強い関心をもっていた可能性が高いのではないかという気がします。「主が彼女の心を開かれた」とルカは心に残る表現を用いて、リディアがパウロの説教を聴く様子を記録しています。リディアもその家族も洗礼を受け、その家にパウロたちを宿泊させています。もしかするとフィリピ教会の始まりであったかもしれません。
 
それからも「祈りの場所」にパウロたちは出て行き、福音を語りました。あるときその途中で、「占いの霊に取りつかれている女奴隷」に出会います。占いはイスラエルでは禁じられていましたが、それだけに一般によく浸透していたと思われます。星占いや血液型占いなどがいまもあるのと同様です。この奴隷の女にはそれを操り金儲けをしている者たちがいて、これがパウロを窮地に追い込みます。占いをするというぐらいですから、何かしらパウロたちのことで感じたらしく、後ろからついて来て、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えている」と叫びました。
 
これが度々繰り返されるので、パウロは「たまりかねて」、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と悪しき霊に言い放つと、霊は女から出て行きました。こうなると、もう占いができなくなったとみえ、操っていた主人たちが怒ります。地域で顔が利いたと思われ、パウロたちを捕らえて役人に引き渡します。「町を混乱させている」と。自分たちローマ市民が受け容れられない風習を宣伝している、と群衆を巻き込んで訴えるものだから、官吏はパウロとシラスは服を剥がれ公衆の面前で鞭を浴びます。
 
それから牢に入れられました。看守は厳命を受け、見張りをしていました。パウロとシラスは一番奥の牢に入れられ、「足には木の足枷」がはめられました。真夜中、二人はなんと賛美の歌を歌っていました。この理不尽で酷い情況の中で神を賛美する歌です。さらに他の囚人たちも、それに「聞き入っていた」といいますからさらに不思議です。
 
このとき、大地震が起きます。牢の戸が開き、囚人たちの鎖も外れたとおあつらえ向きの情況になったことが記されています。眠っていた看守はこの地震で目を覚まします。見えた風景は、牢の戸が開いているところ。囚人たちを見張っていよと厳命を受けたのに、これです。いまなら不可抗力とも言えましょうが、当時は看守が囚人を脱走させると命がなかったと思われ、看守は絶望します。「剣を抜いて自殺しようとした」そのとき、パウロが叫びます。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」と。
 
看守は我に返り、情況を調べます。確かにそうでした。それで叫んだパウロたちの前に「震えながらひれ伏し」、他の囚人たちのいないところへ連れて来て、二人に頼みます。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」というのは、職務上自分が厳しい中にあることになってしまったのでどうしたらいいのか、という意味だったことでしょう。けれども後にキリスト教会ではこの言葉を神の救いに重ねて、これに対するパウロたちの返事を大切にすることになりました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」
 
看守の家の人たちのもとへ真夜中に行くと、鞭打たれたところの手当をし、家の人たちも皆パウロの言葉に従い、洗礼を受けました。家の中で食事まで提供します。共に食事をするというのは、仲間であることの証しです。日本語ならば「同じ釜の飯を食う」と言いますが、まさにそういう仲であることを認め合った時にのみ、そうした食事の席が置かれました。神を信じたことで家族共々喜びます。
 
いったい地震の後の牢がどうなっていたか、それをルカはちっとも説明してくれないのですが、とにかく書いてあることだけを拾えば、朝になったとき官吏たちから遣わされた下役がパウロたちの前に現れます。釈放することの命令を看守に伝えるためでした。どうしてそういう措置となったのか分かりませんが、とにかくそうでした。看守はパウロに、釈放されることになったと伝えます。よかったですね、というところでしょう。しかし、パウロはこの政治的対応に憤りました。下役に直接文句を言います。
 
官吏たちに伝えよ。筋が通らないではないか、というのです。それは、@ローマ市民権をもつ者を罰したこと、A裁判もしなかったこと、Bその上で公衆の面前で鞭打ったこと、C疑いが晴れたのか知れないが、下役を通じて内密に釈放しようとすることでした。だから、Dせめて責任者がここまで出向いてきて、詫びを入れよ、ということでした。
 
このパウロの言葉が知らされると、官吏たちは非常にびびって、パウロのところにすっ飛んできました。そして詫びた後、どうかこの町から出て行くようにと頼んだのだといいます。ローマの市民権は当時絶大な力をもっていました。政治に対する権利をもっていたからです。かつて日本でも、直接国税15円以上納める25歳以上の男子だけが選挙権を与えられていました(1925年に国税の条項がなくなったことで「普通選挙」が実現したと言いますが、男子だけなんですね)。ちょっとそれを想像してもよいかもしれません。もちろん、ローマ市民というのはかの巨大帝国のメンバーという意味ですから、外国人や奴隷などは含まれず、多額の金を支払って市民権を買うということがあったように聖書の記事から窺えます。
 
牢から正式に出られた二人は、リディアの家に行きます。そして、次の町へ向けて出発します。ここまでが、フィリピの町での事件でした。語ったところにリディアがいたことと、家族も救われますということから、よくメッセージも語られます。励まされる内容となるため、実は非常に有名なのです。



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