復活は時空を超えて
2019年4月20日
今週は、受難週。太陽暦のカレンダーの中では、いわゆる移動祝祭日となる復活節に合わせて、その2日前をもって十字架刑の日と見なし、毎年一定の方法で定めているのが、この受難日。それは金曜日ですので、昨日でした。
ユダヤの「一日」は日没と共に始まると理解されていますので、零時区切りの日付の約束で暮らす私たちの考え方とはずれが生じることがありますが、十字架の死から埋葬が金曜日の夕刻手前まで、そして復活が日曜日の未明までにあったという記録からすると、イエスがいつ復活したのかは定かでないことになります。番兵を置いたマタイの記事をどこまで信頼してよいかも難しい問題ですが、「夜中に」弟子たちが来てイエスの遺体を盗んで行った話を捏造した、とも書かれていますから、もしかすると朝方というよりも、夜中にすでに遺体だったはずのイエスがいなくなっていたという筋道のほうが説明しやすい状況だったのかもしれません。とにかく女たちや弟子たちなどが、イエスが墓にいない、と気づいたのが日曜日の朝早くなのであって、復活そのものが「いつ」という問いに対しては、明確ではないないことになります。
天使のような存在が、朝早く訪ねてきた女たちが驚愕する中現れ、イエスについて「ここにはおられない」と告げます。こうしてイエスの復活は「いつ」かも隠され、「どこ」かも分からなくさせてしまいました。時と場所が定められないこの復活劇は、その後様々な場所で様々な現象として復活のイエスと弟子などとの出会いを描いてゆきます。
だから、この土曜日は沈黙の土曜日だとよく言われますが、事実どうなのか分からないわけです。復活のイエスは、いつの間にか弟子たちのいる部屋の中に立ち現れるなどしますから、墓を塞いだ大きな石(この墓というのは洞穴のようなもので、岩で蓋をしたといわれる)をどかさなければ出られなかったのかどうかも分かりません。マタイだけがこの岩がどかされていたのを地震のせいだとしますが、その地震に際して天使が石を転がしたとし、番兵たちはそれを目撃して倒れています。しかし、すでにこのときに、イエスは「ここにはおられない」と言われているのですから、墓の蓋が取り去られてイエスがそこを出て行った、というふうにはどうしても読めないわけです。蓋の岩が動いたのは、女たちや弟子たちがイエスの遺体がそこにないことを確かめるためなのであって、復活のイエスが出て行くためではなかったということです。案外この展開については、説教などでも言及されることがありません。
聖書の記述のとおりに劇の脚本をつくり舞台演出をしようと考えると、このように場面設定の上で難題がいくらでも起こります。そして、私たちの「物語」的な復活の「お話」が、かなり私たちの思い込みによって成り立っていることが分かってきます。
え、それは私だけで、皆さまはもうそんなことは常識だよ、と私の無知を憐れんで見ていてくださっているでしょうか。
復活のイエスにとり、特定の限定された「いつ」「どこ」はないのかもしれません。「いつでも」「どこでも」というのが、「普遍的」という言葉の意味だとすると、イエスの復活の出来事は、まさに普遍的に、「誰もが」経験できることへと開かれていると言えはしないでしょうか。逆に、教会が、紀元何年何月の早朝によみがえりました、とメッセージを送るということは、過去の一点に神の大事件を限定して閉じ込めてしまうことになるかもしれません。イエスの十字架も復活も、いま・ここで起こっても何の不思議がない、というふうに考えてはいけないでしょうか。
この春は私にとり、母をなくして最初の受難、そしてイースターです。死の床でラザロの復活の記事と、十字架の後の復活の記事を、意識があるのかないのか分からない状態の母に幾度も読み聞かせました。その言葉に命があるという信の中で、続けておりました。仏教ならば初盆などというふうな記念があるわけですが、私にとり、この受難節と復活節は、少しそのような感覚と重なるような気がしています。あのときにも、このときにも、同じイエスの出来事が成り立っているのだ、という思いに包まれつつ、明日のイースター礼拝を楽しみたいと願っています。