3月31日
2019年3月31日
祖父の命日です。私は10歳。ちょうど春休みであったため、病気の祖父の実家に戻っていました。ですからいわば、目の前で看取ったことになります。祖父は筑豊の村の禅寺の住職でした。学校の休みには訪ねていたのですが、広い本堂と香の漂う空間は、幼心に強く焼き付けられました。いま行けば、狭い小さな本堂に過ぎませんが、当時はうんと広く思えました。ただ、トイレは怖かったですね。室内にはいくつもの暗い部屋を通って行かなければならず、まして外のトイレなど、墓地の横ですから、怖がりの私には無理でした。
日本の仏教の宗派と開祖が一覧になったものが模造紙に筆で書かれて貼られており、お陰で私は小さいときからそれらを全部知っており、歴史の学習でその点何も労することはありませんでした。書道の先生でもあったので、それはそれは美しい文字でした。母もそれを受け継いでいました。母がどれほどこの父親を慕っていたか、母の手記を見るまでは知りませんでした。母はその父親の年齢をずいぶん上回るまで長生きしました。
寺を背景に、その敬虔なあり方は、私を育んできた何かであったには違いありません。霊的なことについても、何かしら素地のようなものはあったかと思います。親戚の家庭に起こる不幸について、霊能力者にみてもらうと、粗末にされていた先祖の墓が見つかった、などという話もあったのも、自然なことのように受け止めて育ちました。
文学作品や良質の漫画とも、そうした環境の中で出会うと、深い意味を覚えたり、いろいろ考えることの多い幼少期でした。あのころの心と、いまの心とで、変わっていないと思えるところもあります。
その後は関係のない別の住職があの寺を守っていますが、そこにある祖父母の墓にも、年に一度程度ではあっても、福岡に戻ってからは訪ねてきました。これからはなかなか行けないかもしれませんが、あの日のことは、忘れることがありません。だから今日もやはり、私にとっては特別な日であり続けるのです。
立春大吉。祖父の書いた札が随所に貼られていたあのころ。立春大凶じゃないか、と冗談を言って窘められたあのときのことも、なんだかつい昨日のような気さえします。
この時季、受難節と復活節。人の死を体験できませんが、その出来事に触れることはできます。しかし、触れる経験がないままに育った人間が、時に恐ろしいことをしでかしてしまう例があるようなことを思うと、しっかりと死を子どもに見せるということは、ひじょうに尊いことではないかという気がします。キリストの死と復活をリアルに覚える春であったら、と願います。