パン

2019年3月3日

今回はおなじみの(?)『目で見る聖書の時代』(月本昭男)に沿って、聖書の時代のパンについての話を聞いてみましょう。
 
麦から作るパンは当時中東地域の主食でした。羊飼いたちも、乳製品などと交換して麦を得ていたといいます。アブラハムが客を迎えたときにパンを焼かせていました。私たちが「ごはん」で食事一般を指すことがあるように、彼らが「パン」と口にするとき、食物のことと理解することもありました。主の祈りにある「糧」は文字通りには「パン」のことです。
 
小麦の栽培は、紀元前3000年頃に始まったと言われています。メソポタミア文明やエジプト文明は共にこの麦の栽培技術に基づいており、経済的基盤がこの麦でした。栽培されていたのは小麦と大麦が中心で、パンにはもちろん小麦のほうが適していましたから、高級品でした。貧しい人は大麦に甘んじていたことになります。但し、乾燥に強い大麦は荒れた土地でも栽培できたようです。
 
麦は秋に種を蒔き、初夏から夏にかけて収穫します。大麦は生長が早く、小麦より一カ月ほど早く刈り入れができたといいます。牛や驢馬が引く「すき」で耕され、同時に種蒔きもできる仕組みが考えられていたようです。収穫は、穂先を鎌で刈り取り、「打ち場」に集めます。牛や驢馬が引く脱穀板や脱穀車で踏みつぶして脱穀し、風の中を高く投げ上げることで軽い籾殻が飛んでいきました。悪人はこの籾殻のようだ、と詩にうたわれています。
 
聖書文化の下にある人々にとっては、これら農作業が人生そのものを見せてくれるものでもありました。種蒔きと収穫に比して、ひとの行いと報いとが語られもしますし、それは新約聖書でも同じです。
 
パン作りは、まず麦を挽いて粉にするところから始まります。平らな石で別の石を前後に動かして、脱穀した麦粒を潰して粉にします。その石臼は、多くの遺跡から発見されています。
 
パンの形はたいてい薄い円盤形。鉢でこね上げたパン生地に酵母を入れて寝かせた上で焼くのですが、この酵母を入れずに急いで焼いたパンが、出エジプトを記念する過越の祭で食され、また献げものとしてのパンもこれでした。熱した石の上に貼り付けるようにして焼いたのではないかと言われています。
 
マタイ13:33★「天の国はパン種に似ている。
女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、
やがて全体が膨れる。」
 
出エジプト12:15★七日の間、あなたたちは
酵母を入れないパンを食べる。
まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。
 
薄い円盤形のパン生地を壁に貼り付けたり、パン焼き皿に載せて焼いたりする方法でパンは焼きました。荒野では、家畜の糞を乾かして燃料にすることもあったようです。
 
エゼキエル4:15★主はわたしに言われた。
「あなたが人糞の代わりに牛糞を用いることをわたしは許す。
 あなたはその上でパンを焼くがよい。」
 
焼き上がったパンは、手で裂き、酢などに浸して食べていたようで、最後の晩餐の席でもそのような酢の出てくる場面がありましたし、ルツ記にもありました。この晩餐でのパン裂きは、後の教会で重要な意味をもつようになり、いまもなお私たちはそれを受け継いでいます。
 
ヨハネ13:26★イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
 
ルツ2:14★食事のとき、ボアズはルツに声をかけた。
「こちらに来て、パンを少し食べなさい、一切れずつ酢に浸して。」
 
ひとは、最初は菜食であったのが、洪水後に肉食が始まった、というように、創世記では読みとれます。イザヤ書は、やがてくる平和な国においては菜食に戻るように読める描写もあります。
 
創世記9:3★動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。
わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
 
イザヤ11:7★牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
 
以下、引用は控えますが、新約聖書では、悪魔が荒野でイエスを、「石がパンになるように命じたら」と誘惑しました。「パンを欲しがる自分の子どもに石を与える」はずがない、と神の恵みをイエスは話しました。安息日にダビデたちが供えのパンを食べたことをイエスは答えたし、天の国をパン種にたとえた場面もありました。五つのパンと二匹の魚を五千人に分けた奇蹟もありました(バリエーションあり)。カナンの女の求めに対してイエスが「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と冷たくあしらったこともありました。ファリサイ派とサドカイ派のパン種に気をつけよ、と警告が弟子たちに与えられました。伝道の旅にはパンも持っていくなと弟子たちは命じられました。
 
ルカがパン3つを貸してほしいと夜中に訪ねるたとえが、ルカによる福音書にあります。放蕩息子のたとえでは、瀕死の弟が、父のところには「有り余るほどパンがあるのに」と嘆き、回心しました。復活のイエスがエマオへの道でパンを裂いたとき、二人の弟子は目が開かれたのでした。ヨハネのイエスは、父が天からの「まことのパン」を与えると告げ、イエスこそ「命のパン」だから食べよと言ったことで、多くの人が躓きました。復活のイエスは焼いた魚とともにパンを、弟子たちに与えました。
 
使徒言行録では、弟子たちが集まってパンを裂いていたことに触れられており、パウロもイエスのようにパンを裂いたことが記されています。そのパウロは、とくに第一コリント書で、パンについて重要な提言をしています。しかし、その後新約聖書では、パンについての言及が殆どなくなります。
 
なお、日本で「パン」と呼ぶこの言葉は、宣教師によりもたらされたことでポルトガル語に由来しますが、スペイン語やフランス語などのいわゆるラテン形言語はほぼこのような言い方をします。この日本語の呼び方から、台湾や韓国でもだいたいパンと呼びます。
 
ひところ家庭用パン焼き器が流行し、そういうレンジでパンを焼いたこともありました。なかなか家ではいまは焼きませんが、朝早くから焼いてくれるパン屋さんのあの香り、たまりませんね。私がしばらく住んでいた京都は、伝統的な和の文化のイメージを与えますが、実はパンの消費量は日本一。あたらしもの好きなのが京都人の特徴でもあった名残なのでしょうか。京都府下で義父も長年パン職人として勤め上げました。子どもたちの給食のパンをも届け、子どもたちの食と命を支えてきたお仕事、お疲れさまでした。



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