やがて君になる (2)

2018年12月21日

変わりたい……でも、変わるのが怖い。このままでいい。アクションを起こすと、せっかくの関係が壊れてしまうから。
 
けれども、自分の心地よさだけ求めて、相手が自分へと成長していくことを、いつまでも封じておくことはできない。変わっていくあなたも含めて、そのままのあなたを好きになる……。
 
深い思いを知り、侑は成長していきます。
 
作者は、本当の自分を探す旅をするようなことは嫌いだとはっきり述べています。この姿勢に私は共感します。でも、自分で気づかないままに、それはもうそこにあるのでしょう。そうなっていくのでしょう。ひとはそのように成長していくことでしょう。
 
「やがて君になる」、この謎のタイトルそのものに、作者のセンスが輝いています。「君」とは誰なのか、それは物語の中の人物であるにしても、どこか曖昧です。きっと、誰かひとりだけではないのでしょう。私は読者視聴者を巻き込むものだと捉えています。そして物語は最初から英語のタイトルが付いています。"bloom into you"、これもまた実に考え抜かれたタイトルだろうと思います。"bloom"は花咲く。女性の物語として、またアニメのオープニング映像からして、花やぐ画像はとても魅力的ですが、それ以上に、花咲いて君になる、もちろん日本語ではこのように訳すべきではないのですが、どこかに本当の自分というものが別にあって、それを探究するという、ありがちなものでなく、花開いていくあり方が、なんともいえない響きを物語全体から受け取ることを可能にしてくれます。
 
アニメ制作に原作者が悉く関わり、このときのキャラクターの心理はどうだと全部説明し、アフレコにも立ち会いやり直ししてもらうなど、心理描写については徹底的にこだわっています。それでいてスタッフと互いに信頼関係が強く、原作に忠実で、またアニメならではの表現も活かし、よい作品に出来上がっていると原作者も喜び、またファンもしびれている、そんな作品です。原作でで表せない動きや間、声色などをアニメ(まさにそれは命を吹き込むこと)で表現するというように、それぞれが互いの表現方法を高め合うようなものを感じます。
 
一つひとつのコマ(シーン)に、キャラクターの隠れた心理が10倍も100倍も潜んでいて、それを繙くヒントがちゃんとそこに描かれている。そのため、味わおうとすると、ひとこまひとこま、哲学書のような読み解いていかなければならないくらい、実にしんどいコミックス(アニメ)です。ファンの中には、毎回それをブログに延々と分析してレポートする人がいて、それは制作者側も驚いている声を返しています。ちゃんと読み解いてくれている、あるいはもっと深いものを受け止めてくれている、そういう評価をしています。もちろん、当然誰にも分かるように描かれている部分も多いのですが、よほど細かく見ていかないと気づかない点もたくさんあります。コミックスではおまけのイラストが各話の最後に付け加えられているのですが、たとえば最新巻の最後の頁には、水がたっぷりのコップが描かれています。止められなくなり心から溢れてしまった侑の気持ちがそこに表されていて、切なくて切なくて、読者としては号泣を逃れられません。但し、これはこのクールではまだ登場しないことでしょう。
 
原作はまだ終了していませんから、アニメの終わらせ方というのはとりあえず中途で終わるのでしょう。たぶん、あの場面であのように終わり、テーマソングがかかって幕が引かれる――たぶん幕が開く――のではと予想しますが、これは続編を前提していることは間違いありません。いまのアニメは、3か月で12〜13回を1クールとしていますから、連続してではないかもしれませんが、第2シリーズが、連載の進行状況に合わせて作られることでしょう。その加減は分かりませんが、作者はすでに、物語の始めと終わりだけをきちんと定めた上で作品を綴っているといい、急ぎすぎず、どこでその決定的な扉を開くか見つめつつ、キャラクターの成長を見守るかのように描いているそうです。
 
これって、まるで福音書のようではありませんか。福音書では、始めと終わりが決まっていることは言うまでもありません。そして、神を知らなかった時のそのひと、知ってからのそのひと、それをそのまま愛しているという神を覚えます。
 
もちろん、この物語にあったように、嫌いな自分を好きになる人を好きになれない、というパラドックスが聖書にあるような気はしないのですが、「私を好きにならないで」と同時に「私を嫌いにならないで」が成り立つこのむずがゆい心理が、キュンキュンする……え、いいおじさんがおかしいって? 私は本来そういう者です。
 
イエスは、あなたがいまとは別のあなたになって、変わってしまってから好きになる、などと聖書で言っているようには見えません。一方、いまのあなたのままでそれでいい、とも言っていないと思います。あなたはあなたのままで、しかしあなたへと変貌していく。その全部をひっくるめて、神は愛してくださる。
 
登場人物の中のある人物が、実は私だったのだ、と、私は思い知らされました。気づかなかった自分に気づかせてもらえました。自分のことはそれなりに分かっているつもりでしたが、違いました。神の目には、もっと私自身気づかない私があって、それをひっくるめて、愛していてくださっているのだということに、思いを馳せることができました。この物語に出会えて、ほんとうによかったと思っています。



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