父ヨセフ
2018年12月16日
いまでこそ守護聖人として崇められるヨセフの名は、カトリック世界でも、近年まで人気がありませんでした。19世紀末に教皇ピオ9世が認めてから変化してきたということです。かつて民衆の洗礼名に使われることも殆どなかったヨセフが、いま最人気のひとつであり、たいていのカトリック教会にヨセフの絵や像があります。
カトリックの歴史をはじめヨーロッパの文化に詳しく、活発に発言されている竹下節子さんの『「弱い父」ヨセフ』(2007年)が、このヨセフを取り上げた珍しい本なので、そこから幾つか拾っていきたいと思います。
ヨセフは、家庭を護る者というイメージで捉えられています。そのとき生まれたイエスは、最も弱く小さい者としてのイエスのイメージです。ヨセフはこれを守り、寄り添う者として見られており、他方また「聖家族」と呼ばれるこの一家は、血縁のないファミリーのモデルとして、児童養護施設の名にも多く取り入れられているわけです。
ヨセフは福音書の中から、忽然と姿を消します。そのために高齢であったのではないかというイメージも焼き付けられていますが、この著者はその見解には反対しています。それはただの憶測に過ぎない、と。
マタイで婚約していたという記述がありますが、当時婚約というのは結婚と権利的には同義で、だからこそそこで不義があると死罪にも価するものとしてヨセフが悩んだことになりますが、この問題には、カトリックが特に強調するマリアの処女懐胎というテーマが絡み合い、実に様々な議論と想像が関わってくることになります。
ヨセフがクローズアップされるためには、アッシジの聖フランシスコ(12-13世紀)の登場が必要でした。聖家族のイメージがフランシスコにより信仰の対象となり、家畜小屋の人形も現れ、降誕劇も、そのフランシスコ会が始めたとも言われています。また、フランシスコの清貧の考えが、そのままヨセフと重ねられるということにもなりました。
14世紀の教皇分裂という混乱の時期、ヨーロッパが戦乱に喘ぐ中、和平を考えるための象徴となったのがヨセフであった、と本書は告げます。それは政治的な目論見でもあったわけですが、ともあれそこからヨセフの地位はじわじわと確立されていきます。
ヨセフの姿は、どこか聖職者を感じさせるものともされました。イエスの父というのが肉の父ではなかったからです。そこでプロテスタントが起こり牧師が結婚するというふうになると、この聖職者のイメージはヨセフから剥ぎ取られていきましたが、それでもヨセフのもつ家族の温かな様子は、家族の模範として尊敬されることは終わりませんでした。
聖母としてのマリア信仰は、カトリックとプロテスタントとで大きく分かれましたが、ヨセフについては、父なる神という概念と、イエスの父というあり方とがさかんに論じられ、また父と子との関係が時代や文化により異なることから――たとえばローマ帝国時代、父は産まれた子を自分の子として認めるか認めないかその場で決定し、認めなければ棄てたりよそに出したりするという習慣があった――、近代になり子どもの権利が確立するにつれ――かつて子どもという概念すらなく、小さな大人として苛酷に扱われていたような向きもあった――、ヨセフの扱われ方も変わってきたといいます。家族観は、同時にまた子ども観でもあるわけです。
母親にとり、子どもは自分の一部であったことが確実なものですが、父親にはその実感がありません。母親は産まれた子に「こんにちは、赤ちゃん」とは決して言わないのです。その以前からずっと一緒にいたのですから。そう言うのは父親です。だから、あの有名な歌が出たとき、この歌詞は男が作りましたね、と見破られた逸話を、作詞の永六輔さんが漏らしていたことがあります。初めての子が産まれた時の朝の風景は、私にとり忘れられないひとときでした。ヨセフとは状況がまるで違いますが、父から見る子という存在は、母からのと違う、独特の感情や感覚があると言えるでしょう。
竹下節子さんはこの後、強い父についての現代文明への眼差しを記していますが、関心のある方はどうぞ本書をご覧ください。「すきま」としては、聖書の中のヨセフというよりも、その後のヨセフについて概略を辿ることでお許しを願いたいと思います。