ヨハネ8章の挿入について
2018年12月9日
ヨハネの福音書の7章末から8章初めの段落のこの箇所は、新共同訳では 〔 〕で括られています。新約聖書の写本から考えて、最初からあったものではないだろうとの疑いが強いためです。
古代、聖書は書き写されて広められ、また残されました。これを写本といいます。新約聖書はそもそも数多くの写本があり、細かな点ではかなりの違いがあります。旧約聖書も違いは見られるのですが、一点一画を重視するイスラエルの律法文化は、驚異的な一致を示すと言われています。新約聖書は、世界宣教を見据えて各国語への翻訳も多く、様々なタイプの写本が鬱蒼と繁っているような状態です。
さて、このヨハネによる福音書の姦淫の女の記事ですが、ベザ写本とラテン語訳のいわゆる西方系の写真と、ビザンチン型の写本がこれを記載しているそうです。ベザ写本は5、6世紀のものと見られ、福音書と使徒言行録がその主な残存物です。ギリシア語とラテン語とが並行して書かれています。他の多くの写本と異なる部分が多いと言われ、言葉や文の変更や、順序すらいろいろ改変しているといいます。使徒言行録などは、他より1割ほど長いそうです。ビザンチン型というのはぼんやりとした呼び方ですが、9世紀以降への影響が大きく、宗教改革時に翻訳の対象とされたそうです。また、ギリシア正教会はいまもこちらが標準というのですが、現代はこれと大きく異なる、より古いアレクサンドリア型がプロテスタント・カトリックで基準となっています。
現在重要とされている写本にこの記事がないことから、聖書の元々の文章ということになったときに、認められないということになっているのですが、面白いことに、かなり重要な写本のあるものが、この記事をルカ21章の最後に置いているとのことです。他のあるものは、ルカ24:53の後、またヨハネ21:25の後、ヨハネ7:36の後といったふうに、中世後半になってもあちこちにふらふらと挿入されているのだそうです。
つまりは、後世に挿入されたということは、研究上明らかであるのですが、ではいつまで遡ることができるかということを知るためには、聖書について研究した人や引用した人、また説教などを調べることが有効です。それによると、聖書の他の個所については詳しく書いていても、この記事の内容をどうやら全く知らないらしいと思しき有名な人々がたくさんいる一方、2世紀末には知られていたであろう形跡があるとも言われています。
語彙や表現だけを取り上げても、ヨハネによる福音書とは異なる傾向が見られるそうで、それが書かれた当初からあった、とすることは無理のようです。ここまで、田川建三「新約聖書・訳と註5」に基づき、またメツガーの「新約聖書の本文研究」の説明を頼りに述べてきましたが、田川建三はこここからまた、ここから現代の理解にちくりと、いやがつんと攻撃を加えています。
「再び罪を犯さないように」というセリフが心に浸みるせいか、現代のみならず古来この箇所は説教にたいへんよく用いられた、いわば人気の箇所のひとつであったということについて、それは、この女性を「罪人」として扱っていることに違いなく、だから女性を引きずり出してきた律法学者やファリサイ派と、おなじ見方をしているのだ、というのです。どうして女だけが罪人なのか。相手の男がいる事案であるにも拘わらず、女だけが罪人とされている男社会である点では何の違いもないではないか、と。
これは歴史的にずっとそうでしたし、日本でもそうでした。日本国憲法ができるまでは、姦通罪があり、男に有利にできていたのです。姦通が犯罪とされているのはいまでもアメリカ合衆国の半数近くの州、あるいは中国とイスラム圏でしょうか。イスラム圏では石打による死刑であり、聖書の時代と何も変わりません。韓国では近年廃止されました。
田川氏は、イエスの他のやり方とも全然違い、このような結末に不満ですが、どうであれ、男はどこへ行ったのだ、とは私もずっと問うていたことでした。少し前に、西南女学院大学のうら若き乙女たちに向けて、ここから話をさせて戴きました。やはり内容が難しかっただろうとは思い、いま見ると反省することしきりです。欲張って盛り込みすぎたこともまずいものです。今回また皆さんをうんざりさせることは覚悟の上で、これを掲載してみましょう。
目的と手段
細かなところは別として、あらすじはなんとなく想像できたでしょうか。うら若い皆さんにお話しするにしては、刺激の強い話であったかもしれません。聖書は人のきよさを描いたものではないので、なんとも醜いどろどろしたものが多いのですが、新約聖書のイエス・キリストが問題を解決する場面は、ちょっと小気味良いところがあるでしょうか。
ある朝、神殿、つまり教会の本部みたいなところにイエスが来て、神の話をしているところへ、女性が連れて来られます。連れてきたのは、律法学者やファリサイ派といいます。これは、いわばイエスのライバルです。それまでの伝統的なユダヤ教の指導者たちです。ユダヤ人は、この神を信じている、このきまりを守らなければならない、と道徳的にも厳しい感覚をもっています。
この女性は、姦通の現場を押さえられたのです。彼らはイエスに言いました。「姦通」、または「姦淫」とも言います。お分かりでしょうか。今風にいうと、「不倫」です。日本でも今から70年前まで、姦通罪という罪がありました。不倫は犯罪とされました。ただし、女性に厳しいものでした。江戸時代ならば、死罪でした。この二千年前のユダヤでも同様でした。女性は石打ちの死刑と定められていました。大勢の者が、動けない死刑囚に石を投げ、じわじわと殺す残酷な刑です。実は現代でも、一部の国でこれがあったというニュースを聞くことがあります。
イエスのライバルたちは、人々から人気の出てきたイエスを失脚させようと企んでいました。律法、つまり神の与えた法律という意味ですが、きまりでは、石打ちの刑だと定められていますが、さあ、あなたの判断を聞かせてください、と迫りました。というのは、イエスは、神は愛であり、時にはそのがんじがらめの法によらず、神のはからいで人を赦すべきだと教えていたのです。「イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言った」と、この福音書ははっきり記しています。
イエスがいつも言っている教えのとおりにこの女を赦すならば、イエスは法律を破ることになります。つまりイエスを捕まえることができます。もし法律通りに死刑だと言えば、イエスがこれまで教えてきたことを自分で否定することになります。つまりイエスの人気は落ちるでしょう。こういうのをジレンマといいます。どちらを選択しても、悪い結果をもたらすことになるからです。
イエスは、その場にしゃがみました。地面に何かもぞもぞと字を書いていたようでした。
人々は、さあどうする、と迫りました。
しばらくして、イエスは立ち上がります。そして、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言うと、またしゃがんで同じように地面に何か書き続けたのでした。
人々は、こそこそとその場から去ります。人生経験の長い人が最初に、そしてしだいに若い年齢の人が続いて。
その場には、イエスと女だけが残っていました。イエスは再び立ち上がり、あなたを殺そうとしていた人々はどこへ行ったのか、と尋ねます。罪に定める人間はいないのか、と。そしてイエス自身も、今回のことであなたを有罪にはしないから行きなさいと言います。これからは、罪を犯さないように、と付け加えて。
さあ、質問です。この物語を聞くあなたは、どこにいましたか。誰の身になっていましたか。
この不倫をした女性の身になった人もいるかもしれませんが、お若い皆さんにとっては、ぴんとこないところが多いでしょうか。石を投げようとわくわくしている男たちの誰かになりましたか。様子を見守る女性の一人でしょうか。神殿の中ですから、それは場所にもよりますが、女性の姿はあまりなかったのではないかと思われます。
それから、男のほうはどうしたのか、と思った人もいるでしょう。差別ですね。なんで女性だけが罰されないといけないのか、という憤りの人もいたのではないでしょうか。
イエスがしゃがんで何か地面に書いていたのですが、その思いのすべては、私たち人間には分かりません。困っていたのかもしれませんし、時を見計らっていたのかもしれません。
律法学者やファリサイ派の人のほかにも、偶々その場に居合わせた男たちがいて、神殿に来るくらいですから、それなりにきちんとした人、正義感の強い人が多かったでしょう。石打ちがその場でできるとすれば、もう石を握っていた者がいたかもしれません。少なくとも、石を投げることが、この場の雰囲気だっただろうと思われます。そうでないと、石を投げよと言われてこそこそと一人去り二人去りしたという話が成立しません。
人間は、他人が不幸になることについては、実に建前を取りつくろうのが上手です。相手にひとつ至らないところがあったら、厳しく責め立てます。昔、幼稚園の運動会を見に来ていた若い父親が煙草をふかしていました。私は喘息の息子を抱えていましたので、ここでは吸わないでもらいたいと言いました。すると、少し離れて吸っているのに、煙草を吸う者はいつも悪く言われて肩身の狭い思いをしているんだ、と逆ギレされました。
駐車違反で警察官が来ると、なんで自分だけなんだ、ほかにもみんなとめているじゃないか、と文句を言う話はいくらでもあります。
さて、この女性は、確かに不倫現場を押さえられたのでしょう。その点については何の反論もありません。注目するのは、イエスが、この女を責め立てていないということです。それどころか、このいわばあくどい企みをした律法学者やファリサイ派の人を責めている様子もない、ということです。取り巻く人すべてに向けて、あなたがたの中で罪がないと言い切れる人がまず最初に石を投げよ、とコメントしただけでした。
よくぞ、道理を弁えた人々だったのだなと思います。皆が去りました。さすが人生経験の長い人には、理性がありました。それを見て、若い者も年配者に逆らうことがありませんでした。自分には一切罪がない、と言えるわけがない、と皆分かっていたのです。俺はないぜ、などと言って投げ始める者がいなかったことは、幸運でした。もちろん、イエスのことですから、そこまで分かっていたのだとは思いますが、それでもやはり神殿に来ている人々です。落ち着いた人たちでよかったなと思います。
いま、情報が多く溢れ、また自分の意見をツイートなりブログなりで簡単に発信できる世の中となっています。こんなとき、誰か悪いことをした、というニュースが広まると、一斉にその人を叩くということがあります。どうしても誰かを悪者にしないと気が済まないのかと私などは思うのですが、ちょっとした芸能人の言動でも、バッシングされるのが日常です。
2005年4月、福知山線という名前ですが、場所は兵庫県尼崎市でした。JR西日本の通勤時の電車がマンションに突っ込むという事故が起こりました。百人以上の方が亡くなりました。このとき、運転士もさることながら、JRが悪いと社会は一斉に責め立てました。街角でテレビ局が、どう思うかとインタビューしている中に、ひとり、私が忘れもしない方がいました。お歳を召した男性でしたが、その人は言いました。「社会が歪んでいるからこんなことが起こったのだ。私を含めた皆が起こしたんだ」と。コメンテーターたちは何の反応もありませんでしたが、私も、実はその人と同じように感じていたので、強く心に残っています。電車を急げ急げと要求したのは私たち利用者であり、原発にしても、電気をもっと必要としたのは利用者である私たちだと思うのです。
また元に戻ります。姦淫の女性を取り巻く男たちの中には、もう石を手にしていた者がいたことでしょうが、そこへ「あなたがたの中で」とイエスが言いました。これを聞いて、ふと「自分」というものを意識したのだろうと思います。それまでは、女の罪は他人事でした。あいつは悪い奴だ、犯罪だ。死刑のきまりだ、けしからん、と。しかし、それを見ている自分自身へと、イエスは意識を向けさせたのです。すると、周りの者たちも、それまで俎の上には他人しか載っていなかったのですが、その俎に自分自身が載せられていることに気がつきます。それで、自分にも罪と言われて思い当たることがあることに気づいたのです。
この罪というものが、キリスト教を理解するポイントの一つです。日本語で「罪」と言うとき、それは背景に別のものを意味する文化が私たちにはあるからです。日本文化では、罪は汚れであり、水で洗えばきよくなる、もっと言えば、水に流すことができる、となんとなく理解している空気があります。ところが聖書を引き受ける世界の理解は違います。罪は私たちの中に根付いており、離れないものです。人間から罪を簡単に見ないことにしてしまうようなことはできないものとされています。
結局イエスは、この女性に対して、罪がない、とは言い渡しませんでした。この女性を赦したのではありましたが、罪がない、とは言いませんでした。あなたを罰する人間はひとりもいなくなった、と、少しとぼけたように言っただけでした。つまりすべての人に罪があるのだから、人間が人間を罰することには無理があることを人々は感じたのです。ただ、この場にに一人だけ、女性を罰することができる人がいました。「罪のない者がまず石を投げることができる」とするならば、ただ一人、投げる資格のある人がいました。お分かりですね。イエスその人です。
しかし、イエスも石を投げはしませんでした。結果的に、かの律法は守られなかったことになります。しかし、それを目撃した人は誰もいませんでした。いわば、神とその女性との間でだけ交わされた関係のゆえに、罪は赦されたのでした。安息日に仕事をしてはいけないという規定をこれまでもイエスは破りました。
人間の中には、罪の根というものがある。だから、悪いことをしてしまう。悪いことをひとつしたからと言って、神はそのことだけでその人を裁いてしまうことをしない。人の中には罪の根があるのだから。イエスは、人間の、そうした本質を見ていました。その人がしてしまったことがその人のすべてだという結論は出しませんでした。
しかし、ただ法の規定でその人を裁くというときには、人の本性や心の奥底を汲みとっているわけではありません。キリスト教は動機を見ると言われることがありますが、事実そうなのです。
イエスの敵たちは、このとき、この女性の何を見ていたでしょう。してしまったことです。しかも、しかもです。女性がどうとかいうよりも、「イエスを試して、訴える口実を得るために」連れてきたのでした。彼らの中に、この女性の顔をまともに見ていた者がいたと思われますか。これは想像ですが、いなかったと思います。この女性自身を見ていたというよりも、イエスの反応を求めていました。この女は、ダシに使われただけであり、さらに言えば、イエスを訴える道具として使われたのです。彼らは、この女性を利用したのです。
学生時代に友だちをつくるのはいいことだとよく言われます。社会人になっても友だちはもちろんできますが、時に、相手を利用して自分が得をしようとするだけのつきあいをしてくる者がいます。金や出世が絡みますから、ひとを利用しようとする者がどうしても現れます。学生のときには、そういうことが少ないとされています。ひとを利用しようとすることは、二千年前も、その前も、たぶん同じです。
しかしイエスは、この女性のことだけを考えました。自分を守るためにこの女性にこうしてやるほうがよいのか、といったことを考えていなかったことはたぶん確かです。
18世紀ドイツのカントという哲学者は、道徳の原理について考えて、歴史の中でひじょうに大きな影響を与えた人です。カントは、人を道具や手段として用いてはならない、人は目的として扱わなければならない、と説きました。理想的な世界は、人が互いに相手を目的として認め合う世界だ、と考えました。
イエスは、この女性を目的として考えていたのではないでしょうか。目的というのは、英語ではいろいろな言葉で表現できますが、しばしば使われるのがendという言葉です。そう、目的とは「終わり」のことです。それから先にものを見ていないということです。律法学者たちは、この女の先に、イエスをどうしてやろうかということを見ていました。まるで女のことが透明になって、女自身はどうでもよくて、イエスのことをその向こうに、終わりに考えていたのでした。しかしイエスは、この女をどうすればよいか、ということだけを見ていました。イエスの眼差しは、女までで止まっていました。
神は人を愛していると言います。それは、そういう愛し方なのです。私を利用して何かをしようというのではなく、ただ私を目的として、私を神の眼差しの最終的なゴールとして、見つめてくれ、その私のためにやがて十字架にかかり、私の罪の根にはもう効力がないようにしてくれた、それがキリスト教が信じていることになります。
かつて、中世では、人は神を目的として生きていると考えられていました。今は、自分で何か自分の目的を探しています。それが自由であるかのようですが、えてして、その目的は誰かに操られることになってしまっています。社会でも、その組織に役立つように、おまえはこれを目標にしろと命じられたり、おまえの目的はこれじゃないか、とその気にさせられたりします。それで、なかなか目的が決められないひとは、自分の目的はこれだったんだ、と思い込むようにして、心の安定を図ります。しかしひとは、終わりがあります。地上で生きるときの終わりがあります。それが目的にもなります。しかし神は、その先にも、連れて行くところがあるのだというメッセージを、聖書は送ってくれています。自分で決めた目的、つまり終わりは、死でしかないかもしれませんが、神という目的を私たちが見出したとき、死で終わらない、死の先を希望することができます。
私たちが他人を手段とせず、まして神を手段とせず、私たちを目的として扱ってくれた神に対して、目を上げて応えたとき、私たちは終わりの前に立ちつくすことがないで済むのではないかと思うのです。
イエスは、「行きなさい」と言いました。女を目的としてゴールとして声をかけた後に、「行きなさい」と。この女は、どこに行ったのでしょう。何を目的して、歩き始めたのでしょうか。それは、この場面を、自分への言葉として受けとめた、私たちそれぞれが、自分の人生でどこに行くのか、を考えることにほかならないように思えてなりません。