戦力外通告

2018年11月25日

ホークスが日本シリーズで優勝しました。11月25日は、その優勝パレードが福岡・天神のストリートで行われます。シーズン2位からのトップということについて、クライマックスシリーズの是非もありましょうが、そもそもアドバンテージなしの時代に、ホークスはシーズン1位でありながら辛酸を舐めていますし、今回初めてこのような逆転を果たしたということで、ひとつの歴史を刻んだというあたりでよしとして戴きましょう。きっと、2位や3位においても、何か条件付きでクライマックスシリーズ参加資格を調えたら少しはよくなるのではないでしょうか。たとえば勝率5割以下だと3位でもクライマックスシリーズには参加できない、というように。
 
それはともかく、野球の最後の決戦が行われた翌日にも、その優勝チームから、来季の戦力外通告が言い渡される選手が何人も出るのを見ると、切なくなります。その傘下にあるチームが最高の優勝を果たしたとき、クビを言い渡される選手です。やむをえない事情もあるとはいえ、チームと個人とはどこか別のものなのだという現実をひしひしと感じます。非情であれ、それが組織というものなのでしょう。それを判断するのは選手個人の側ではなく、チーム事情であり、経営母体の方針です。個人がやる気があったからと言って、選手生活を続けられるということは保証できません。
 
これと同じというわけではありませんが、聖書でも、「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか」と、意識のないままに、主人に「永遠の火に入れ」と言い渡された者たちの話が出てきます(マタイ25章)。永遠の戦力外通告です。それは、こちら側の事情や思い込み、感情によって決まるものではありません。こちらが仲間内で慰め合っていたとしても、結果に影響を与えることはできません。個人は、自分の運命についてコミットする(責任をもつ)とは言えるでしょうが、自分が結果を決めるわけにはゆかないのです。
 
私たちは淡々と、自分にできることにコミットする(専念する)ことを続けるよりほかありません。但し、約束を胸に喜んで歩むことは、許されています。そこに、十字架のイエスの姿が常に見上げられているならば、ですが。



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