時間軸
201810月8日
いわゆる啓発本はビジネス街の書店で売れ筋となり、そればかり棚で、よくぞ人はこんなにも「勉強」したがっているのかと驚きますが、タイトルばかりを見ていると、確かに自分も何かできるような気がしてくるから不思議です。けれども、大抵は成功者自身に役立った知恵や方法ではあっても、読者にはてんで当てはまらず多くの負け犬を生み、著者と出版社が儲けるというだけの代物でありました。勉強法など、個々人で違うと言えば違うのです。
『「超」整理法』や『「超」勉強法』というような本がかつて売れに売れました。野口悠紀雄氏はこの反応に、次々と類書を世に出し、かなり受け容れられた部類ではないかと思います。私も読みました。勉強する場合のざっくりとした捉え方という点も良かったのですが、画期的だったのは、整理法にあった、「時間軸」で整理することでした。
図書館のように、分野別に整理して並べておくのは、複数の人間が扱う資料についてはそれでよいのでしょうが、自分ひとりで使うものについては、新旧の秩序で並べておくのが最も使いやすいのだ、というその主張は、雑然と並べたり積み重ねたりする私の生活に慰めを与えてくれました。最近見たもの、昔見たもの、この観点が自分の中でいきいきとしているし、新しい情報が重要であるというケースが多いのは確かだと思ったのです。
その後、パソコンが生活の中に入り込んできたとき、この方法は実に当たり前のようになってきたのではないでしょうか。ファイルは時間軸に沿って並べられていて、そこから必要なファイルを探し出すというのは、至って普通の行為になっているわけです。私も作成文書はたいていこの秩序でフォルダに放り込んでいます。
時間軸。これは聖書を読むときにも大切です。岩波訳や田川訳のように、新約聖書を執筆順(と思われる順)を考えて思い切って並べ直したものもあるほどに、前提となったものを先に読むという方法では理解を深める場合があります。マルコからマタイへのほうがよいというのはもはや常識化していますが、たとえばコロサイからエフェソの順で読むことで初めて、なるほどと思える収穫がたくさんあることはご存じない方もいらっしゃるでしょう。まさにそれは改訂版、修正版であるのです。
SNSの記事も、結局、時間軸で並べられています。私たちはどうしても、時間的順序の中で捉えることによってのみ、納得できるようになっています。但し、福音書の中のイエスの歩みは、時間軸に沿っているとは思えないものばかりですので、ここは難しいものがあります。また、個人的に大好きなエレミヤ書も、めちゃくちゃな順なので、かつてこれを思い切って整理し直してみました。パズルのようで楽しいひとときでした。
キリスト者の「証し」も、案外振り返って語るとき、時間軸がぐちゃぐちゃになっていることがあります。それこそ時間があったら、整理し直してみるとよいかもしれません。