宦官
2018年8月5日
フィリポが出会ったのは、エチオピアの女王の高官でした。この男は、宦官(かんがん)であったと書かれています。宦官とは何者なのでしょう。
「宮殿や支配者の後宮で仕えた男性の家令で、多くは去勢されていた。」(新聖書辞典)
旧約聖書でこの宦官の意味で使われているかと思われるヘブル語「サーリース」は、もと信頼できる家来を表したようで、創世記37:36や39:1は、いわゆる宦官ではないものと見なされ、ほかにもこの語が侍従(身分の高い人の側近)程度の存在を指していると思しき場面があるというのです。
へたをすると若い人の場合、去勢という言葉すらご存じないケースがあるかもしれませんが、たいてい男性が(つまり女性の場合もある)男性器(基本的に睾丸)を切除すること、取り去ることをいいます。動物を飼っている場合、子どもが増えないようによく施術するかと思います。攻撃的な性質を和らげるために牡馬に対して行うことが多くあったと言われています。
これが人に対してなされるというのはどういうことでしょう。現代のLGBTとして知られるようになった人々は、もしこれをするなら意志的にすることになるでしょうが、古い時代には、異民族の捕虜から始まり、犯罪人の刑罰でされていたという記録もあります。しかしまた、たとえば中国で宮廷に仕える者に宦官が置かれていました。宮廷には、エステル記にもありますように、多くの王の妃が控えています。役人として女性を採用するのは難しかったことでしょうし、男性が世話をするしかなかったのですが、皇帝の抱える女性たちに対して間違いがあってはいけません。そのために男性としての機能をなくした者だけが宮廷に入り、仕えることができるということになったわけです。
好きこのんで宦官になりはしないだろう、と思うと、必ずしもそうではありません。確かに、宮廷関係に就職することから「宮刑」とも呼ばれた刑罰色もあったわけですが、他方宦官とは要するに出世街道でもあったわけです。身分の高い男性は女性を多く抱えることができますが、貧しい男性は支度金がつくれず結婚もできないというケースが多々あるのが世の常でした(いや、現代でもそのような考えがないわけではありません)。そのような場合、宦官になれば王の側近になれるというのですから、これは悪い話ではありませんでした。紙を発明したという蔡倫(さいりん)も宦官でしたし、『史記』を書いた司馬遷も宦官であったと聞いています。
睾丸並びに大抵は男性器を切除すると(麻酔のない時代のその施術についての露骨な描写はやめておきます)、ホルモンの関係で髭が生えなくなり、また身体の一部が大きくなるなどの特徴が現れると言われますが、性欲がなくなるとは限らず、一定の性愛の技術もあったという話もあります。宮廷ではないでしょうが、睾丸だけを切除する場合もあり、こうなると不妊になるわけで、これに似た不妊手術は現代でも一応あります。
古代エチオピアについての正確な歴史の中での宦官については私はよく知りません。この使徒言行録の中での宦官は、身分が高かったことだろうと思います。そもそも聖書を手許に買うことができた(公費とは思えないので私費で買えるというのは相当な財産があるものと推測されます)。それを声に出して(当時「読書」というものは、現代と違い、声に出して読むのが当然だったはず。黙読が普通になったのは、識字率が高まり書物が庶民の手に広まった、ごくごく最近の話)読むことができたというのは、文字が読めるということ(これは相当なエリートでなければ不可能なことだったはず)を表しており、この宦官の教養や富裕さは並大抵のものではなかったとしか考えられません。明らかにユダヤから見れば異邦人なわけですが、ユダヤ人にはなれないにしても、聖書を読みその神を心に抱く敬虔な人々がいたことが聖書からも明らかであり、この宦官もそうした一人であったと思われます。異邦人なのでユダヤ社会からは弾かれてしまいますが、ユダヤの神を信じる者は一定の評価を受けていたというわけです。
しかしユダヤ文化において、この宦官は受け容れられることはありえませんでした。律法の中に、「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない」(申命記23:2)のように明記されているからです。その中で、フィリポと出会って受け容れられたということは、どんなにか嬉しかったことでしょう。「喜びにあふれて旅を続けた」ことは、私たちの想像以上であったのではないでしょうか。
こうした去勢の処遇は、家畜の扱いに由来すると考えられています。牧畜文化の産物ではないかと目されていましたが、世界各地に存在したことが分かってきて、必ずしも文化に左右されない可能性が出てきているそうです。その中で中国の宦官制度が日本には輸入されず、宮廷は大奥のように女性が管理するということにもなっていたのは興味深いものです。また、必ずしも古代に独特というわけでもなく、清朝の最後に宦官が千人単位で追い出されたという話も聞きます。
聖書に戻りますが、聖書の文化ではこの牧畜系を踏襲し、宦官制度をイスラエルに見るのは難しいにしても、「また、睾丸が押しつぶれたり破れたり、引き裂かれたり切り取られたものを主にささげてはならない。あなたたちの国でこのようなことをしてはならない」(レビ22:24)と、牛や羊についての言及もあり、不完全なものという見方が浸透していたものと思われます。そして先に挙げた、会衆に加われないという一項。
他方、ギリシアで一般的だった、大人の男が少年を愛するという(これにはそれに応じた理由があり、必ずしも異常なものと断ずることはできないと思われます)文化が、ローマ文化でも(制度にはなかったようだが)残っていました。パウロの目から見て、ユダヤの律法に照らし合わせて同性愛がけしからんということになっていたあたりは、聖書をお読みの方はご存じのことでしょう。男性にとり、女性との交渉は社会的にもいろいろ厄介な問題を抱えることがあり、同性愛のほうが心おきなく楽しめたというように考えられていた文化的背景があったと考えられるふしもあるのですが、この聖書の言葉を神の言葉としてそのまま受け容れることを建前とした西洋文化は、この同性愛については厳しい処置を施してきました。聖書が禁じているのだから、禁じることが正義である、という論理です。そうして、聖書を正義として、自分の判断を正義として、ひとを裁いて歩んできたのです。
イエスは何を教え、どう生きたか。誰の味方をしたのか。これを考えると、人間の頭ではジレンマに陥るほどに、様々な見方が可能になります。世間で正義とされている有力な見解から外れてしまった弱者の見方をしているのだ、という方を優先させるならば、現代社会では、教会が虐げてきた「不道徳」な人々にこそイエスが寄り添っているようなことにもなります。そうすると、教会とはなんぞや、ということにもなりかねません。
いや、だからクィアの考え方(「奇妙な」という意味で、LGBTを含む多様な結びつきのあり方について近年提言されている思想)を私たちは支持します、という教会も急激に増えています。そのこと自体は結構なことですが、かつてクィアを弾き出してきた歴史の「外」に立ち、我々は当然弱い者の見方をしていました、と胸を張るような態度でいるとなると、結局どんなことが問題に挙がっても、自らを正義の側に置くための言明を探すことしかしないかもしれせません。教会に求められているのは、自己弁明ではなく、むしろ絶えざる悔い改めではないか、と私は思います。それはその個人の信仰の歩みにも同じことが言えるのではないかと考えています。
宦官そのものからだいぶ離れてしまいましたが、「道を外れた」人にどう相対するか、私たちはいつでも態度を問われているのではないか、という気がしてなりません。ここに気づいていないと、「生産性のない」と人を評価する冷たい政治家と、私たちもさほど遠くないところに立っていることになるのかもしれませんから。