平和についての雑感
2018年8月5日
かつて、2つの原爆投下の日は、子どもたちにも大きく強く伝えられました。今にして思えば、少しでも被害者意識を醸し出すことは強調されていたのだ、というふうにも感じられます。そして私もずっと、終戦記念日が8月15日だと信じ込まされていました。それが政府の天皇中心主義のための策略であることを知ったのは、ずっと後のことでした。終戦は、講話や降伏文書といった実務的な場面を外したとすると、日本でも戦後しばらくの間は14日であったのですが、政府があるとき15日の天皇の声が伝わった日に祭り上げてしまい、それが素朴に信じられるようになってしまったのでした。いまなお、天皇制や天皇中心主義を批判するキリスト者団体までもが、この掌の上に転がされて、15日、15日と叫んでいるのを見ると、ただ言いように扱われているだけのような気がして、空しい思いに包まれます。
8月6日は夏休みの中でも平和の日として、小学校の登校日とされ始めた頃がありました。九州にいた私は、どうして長崎の9日ではないのだろう、とも思いました。修学旅行で長崎の原爆資料館に行ったとき、衝撃を受けました。博物館や資料館のもつ意味は大きなものです。実物、そのものがそこに集められているからです。
「平和」が尊いもの、願うものとして私たちは口にします。簡単でないものです。小規模の平和として、「平安」と呼ぶものもあります。自分の心の問題に還元してしまうのです。それも大切なことでしょう。私たちは、「世界平和」と口にすることは容易ですが、自分の隣にいる人との「平和」となると、口ごもってしまうのが実情です。遠い世界の平和のためには祈れても、隣人との関係にいては祈れないようなことさえあります。世界伝道についてはいくらでも祈る言葉が出てきますが、家族や友人へ伝道することへはどう祈ってよいか分からないものです。自分の平安を実現させることは、実は大変難しいことであると言ったほうがよさそうです。
元に戻ります。原子爆弾投下は、やはり世界に突きつけていくべきひとつの原点であるのだろうと思います。核兵器が何をもたらすかの実証ですから、必ずや力をもちます。しかし、用い方によっては、空砲になってしまう危険性もあります。すでに体験者が現実に生きていない、と言うしかないような時の流れを経ています。そうすると、あれは嘘だった、などといった声が必ず起きてきます。聖書でもそうだったことでしょう。直接体験世代が消えるころ、かつての真実を歪めるようなものが、実は本当のことなのだ、というような、まことしやかな説が流れ、動かされていくのです。こうなると、原爆ですら、再軍備の理由にすらされかねないこととなります。人間は、恐ろしい「腹」をもっているし、歴史から学ぶことの少ない存在であるのかもしれません。
引いては、科学とは何か、という根源的な問いも必要になるでしょうし、原子力発電のような技術(「科学」と「技術」とは根本的に別の次元で捉えて議論する必要があることさえ整理できず、混同して言い放つことがあるのは残念)の扱い方も、問題としなければならなくなるでしょう。単に政治的あるいは経済的な国際関係だけで平和が議論できる時代ではなくなっているのですから、多面的に、また根源的に問うことが求められてきます。広く、深い見識が必要になってくるのです。
では、そんな知的な営みでなければ平和の実現には寄与できないのでしょうか。そんなことはありません。いくら知的に議論ができたとしても、なんの力も出せない場合はいくらでもあります。それよりも、誰にでも可能性のある小さな、そして偉大な平和の事業があります。それは、よく言われることであるのですが、あなたの身近な人との間に平和をつくる、ということです。
そう。平和は、誰かがもたらしてくれるものと期待するべきものではなくて、自らつくりだすものなのです。究極的には神がもたらすことは期待してよいのですが、クリスチャンは、平和をつくる者として、神に信頼されています。平和をつくる者こそ、幸いなのですから。