法と正義

2018年8月3日

国会とは何をするところですか。中学三年生になってようやく、この問いに自信をもって答えることができるようになります。それから三年後には、投票所に行くことになるわけで、高校生の時代に政治について考える時間がどれほどあるかというと、果たして18歳投票が適切であったのかどうか、検討の余地があるかもしれません。
 
国会の仕事にはいろいろあります。
・法律の制定
・予算の議決
・決算の承認
・内閣総理大臣の指名
・条約の承認
・弾劾裁判所の設置
・国政調査権を持つ
・内閣不信任の決議
 
しかし何といっても、最大の仕事であるのは、法律の制定だと言ってよいでしょう。国会は「立法権」を有する唯一の機関です。
 
「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」(日本国憲法第41条)
 
法に則って政治も民間生活も営まれます。法に反すると罰されます。財産や生命さえも奪うことが公然と認められるというのが、法というものです。単純化して言えば、「法が正義」です。
 
個人的には様々な正義感があることでしょう。しかしそれらは「倫理」や「道徳」の中に納められ、「個人的感想」のレベルとしてしか扱われません。「多様性のひとつ」という程度にしか。しかし法となると、「法治国家」という切り札を持ち出して、適用することが当然であり、強制もすべて正しいことだとして、個人や団体を踏みつぶしていくことができる、それほどに絶大な力をもつものとされます。
 
このような法は、誰が決めるのか。国民? 間接的にはそうですが、実際的には、決めるのは国会議員です。国会議員の過半数が賛同した法律は、このような権力を有する根拠として、誰も逆らえないものとして襲ってくることになります。もちろん、法故に、守られるというケースもありますが、逆のこともあるということです。
 
旧約聖書は、律法という呼び名ですが、この法を神が定めたという形にしてイスラエル民族を導き、支配しました。新約聖書での法は、新しい心に刻む法としてイエスがもたらした契約が絶えられ、いまに続いていることになりますが、他方、パウロが権威者に従えと主張している(ある見方からすると大変問題を有するとされる)箇所もあります。これは、当時のローマ帝国の属国としてユダヤが支配されている中で、一定の法の保護というものが悪を制御しているという点について言えば、それはそれで間違ったことを言っているわけではない、とまず理解すべきでしょう。
 
国会議員の過半数が同意した法が正義となる。その正義を根拠として、法に従わない者を不正義として裁く。処罰し、財産や生命を奪う。ここには、ひとつの恐ろしい側面が含まれていることは、誰でも気がつくことでしょう。一定の信頼の中でこれを任せている、というのが信任に基づく社会運営なのですが、さて、素朴な信頼がよいのかどうか。過去の歴史の中で、政府や軍部が独走していく過程を、特に明治以降私たちは学んだのではなかったでしょうか。
 
そして、その国会議員を決めるのは、実は主権者たる国民にほかなりません。私たち一人ひとりが、国会議員を決めている(ことになって)いるのです。その時、投票権があるにも拘わらず自分は「投票していない」から関係がない、と言うことはできません。「投票しない」という形で、投票結果に影響を与えるからです。特に、今後憲法問題について、国民投票という形が現実になったとすると、国民投票の場合は、有効投票の過半数の賛成で承認されることを考えると、「投票しない」責任は重大です。100人の中で90人が投票しなかったら、6人の賛成で国民全員が賛成した、ということで憲法改正が成立してしまうからです。
 
民主政治は、プラトンは愚衆政治となる、と危惧しました。有名な「哲人政治」の説です。文化も制度も異なる中での発言なので現代に適用するわけにはゆきませんが、政権政党が好んで用いる「法治国家」の言葉に隠れた、正義を仲間うちが決定することの危険性を、私たちは見過ごすことはできません。
 
法が正義となると言っても、数学的に適用はしないのです。政敵には法を厳しく適用し、身内には法を甘く使って見逃すようなことを、現に目撃しているではありませんか。また、他の国にあっては平然ともう行われているではありませんか。正義を決める法、その法を決める国会議員、そしてその国会議員を決める私(もはや「私たち」ではない)。この筋道を重く考えないところでは、民主主義は死をもたらすものとなりかねません。
 
そこでキリスト者は、この世の正義を超えた神の法に従う自由をもつ、その意味も、また考えていくことができるし、考えていく責任を負っているのでなければならないと思うのです。


★自ら法をつくり自らの思惑を「正当に」現実のものにしていく。この構造は、偶々いまワイドショーを賑わせている、ボクシング界の話も、けしからん医大の話も、結局みんなそういうことなんだということになりませんでしょうか。ほかにも多くのスキャンダラスな話題を貫く原理のようにさえ、思えてきてしまいます。



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