武勇伝を恥じて
2018年7月14日
学習塾それぞれに、ノウハウや掟めいたものがあろうかと思います。教員免許も教職課程も要せず就ける職業であるのに、教えている内容は同じというのは、教員から見ればけしからんと思われるかもしれませんが、目的が異なると言えば異なるので、そこは大目に見て戴きたいところで、だからまた、学校社会とは異なる押さえどころというものもあることになりましょう。
たとえば「昔は塾など行かなくても合格できた」とは、もしかすると講師の口をついてつい出てきそうになるフレーズの一つかもしれません。たとえば私は塾に通った経験はありません。ですからそのフレーズは本当のことであるのですが、これを現場で口にしたことは一度もありません。本当のことだから、確かに零れてくる可能性のある言葉なのですが、さすがにそこは営業の心もありますし、また、生徒のモチベーションをも殺ぐことになることを考えますから、言うつもりもありません。
しかしこれが大人といまの子どもや若者の話となると、私たちはいとも簡単にこうしたことを言います。もちろん営業云々の目的はありませんが、年を重ねるとつい出てくる言葉、「いまの若い者は」に続く言葉としてのバリエーションに、紛れ込んでしまうのです。
「いまの若い者は」けしからん、とは限りません。とにかく私たち大人は、ああだこうだと言いたがります。古代遺跡からもこのフレーズが見つかった、とよく言われますが、人類史上、絶えることなく言い続けられてきた言葉なのでしょう。
さて、ここからはいわば懺悔なのですが、私もこれをやらかしていたのです。話題の提供、というところから、昔はずいぶん学生として無茶をした、ということを、さも武勇伝のように語ってしまったのです。ちょっと心苦しく思いつつも、その場の大人だけに肯いてもらえばそれでよいか、と調子に乗りました。
実のところ、かなり反省しています。こっそり、あのことは忘れてください、と当事者だけにお願いすることも可能でしたが、ここは公に告白することとしました。悪影響を考慮して、その発言内容をここで再現することは致しませんことをお許し下さい。