七夕の益城町
2018年7月11日
2カ月に一度でしかありませんが、益城町(ましきまち)の小池島田(おいけしまだ)の仮設住居の集会所をお借りして、ささやかなカフェの場を提供する活動の一端に参加させて戴いております。
この7月9日、大雨で救援が必要な各地のニュースを聞きながら、こちらは2年前からの傷の癒えない熊本・益城に向かいました。仮設を出られる方もいらっしゃいますが、ずっと同じ方が集まってくださる、ということは、仮設での生活がずっと続いている、ということで、胸が痛みます。
あの雨が嘘のように消え、青空が現れました。いっそ、あの雨がすべて嘘だったらいいのに、と思いつつ、泣きそうな心を連れて、いつもの場所に着きました。梅雨が明けたという宣言があったそうです。雲も、すっかり夏の雲でした。
今回初めて、かき氷という企画で訪れました。雨の時のように涼しかったら役立たないかな、と案じていましたが、どうしてどうして、今回はこれなしでは考えられないほどに、誰もが氷を口にしました。うだるような暑さの中、氷はナイスヒットでした。
昨年の朝倉から東峰村、日田方面を含む豪雨からちょうど一年、西日本各地は豪雨に見舞われ、目を覆うばかりの惨状が報道されていました。津波の映像がトラウマになり放送を自粛すべきだという見方が、理解されたとせっかく思っていたのに、ワイドショーは相変わらず「絵面」のように映像を繰り返し垂れ流しています。もっと伝えてほしいことがたくさんあるのに。
それはともかく、そんな雨への気遣いもむしろこちらが受けながら、益城町も雨は強かったがそこまで心配はいらなかった、というような話も聞きました。
歌やギターの披露がありました。ギターは初めてでした。古賀メロディを奏でてくださったおとうさん、申し訳ないことに、ガットギターでなく、スチール弦ギターでありました。指が痛そうで、辛そうでしたが、懐メロをテンポ良く弾いてくださいました。
集会所は「みんなの家」という名で呼ばれます。大きな青い竹が、くびられて立ち、風に揺れていました。七夕の短冊がたくさん下がっています。青い空にそびえ立つ笹の葉と短冊たち。乾いた音を立てて、しばらくそよいでいましたが――強い風に、竹が根元のほうから折れてしまいました。正確には、折れ曲がり、もう再起不能な状況ということです。そこから切断し、やや短くなった笹を再びそこに立てることができました。
ところで、倒れていたとき、むしろ倒れていたからこそ、その短冊を見ることができました。子どもたちの言葉は、なんだか希望に溢れています。「テストで百点が取れますように」が二人もいました。だれそれくんと遊べますように、とか、中体連で勝つぞとか、子どもたちはしっかり明日を見ています。子どもたちの希望に、励まされました。
しかしまた、おとなの短冊を見ると、目の前の景色が歪んできました。「早く自宅へ帰れます様に」とか「一日も早い○○集落の復興をお願いします」とか、切なる願いが、もう二度も重ねられてきたことになります。また、「仮設住宅に感謝します」という言葉にぐっときて、これはやばいぞと思っていたところへ、「生かされた命をまっとうしたいと思います」ときて、もう号泣寸前になりました。ひとそれぞれの、天への願いでした。短冊たちは、再び青い空に吸い込まれそうなほどに伸び上がり、今度は風に負けるものか、と背筋をぴんと伸ばして、この願いを届ける役割を果たそうと張り切っていました。
カフェと言いつつ、コーヒーはあまり注文がなく、かき氷のあとは冷たいお茶が望まれました。わらび餅がちょうど合っていてよかったと思いました。
歌うのもスカッとしてよいかもしれないけれど、どこかのカラオケハウスのように、歌わない人が関係なくお喋りをしてばかりする様を見て、私が僭越ながら、最後にひとつに心を向けようと思い、手話をしましょう、と前に出ていきました。クイズ形式で、手話が何を意味するかを考えてもらうなどした後、それらの手話を覚えてください、と皆さんで手を動かしてもらいました。
「うれしい」
「元気」
「だいじょうぶ」
体を動かす運動は、歌って踊るほどのものは無理にしても、これくらいなら軽い体操のような役割を果たすことでしょう。「だいじょうぶ」が少し難しいですが、これらの意味は、肯定的に気持ちを前向きにしましょうという意図に合うと思い、選びました。そして、仮設の向こうとこっちと、離れていても、挨拶したりお喋りしたりできるのです、と締め括りました。
お開きにし、片づけをして締めくくりに共に祈る時をもつのですが、益城のお客さまも二人、居残って、その輪の中にいてくださいました。私たちがこんな祈りの中でここに来ていることに、何かをお感じになったかもしれません。
何かが特にできる、というわけではありません。ただ、前回牧師が、仮設から引越をするときには声をかけてくださればお手伝いに来ます、と言っていたため、その依頼があり、今月下旬にその約束を果たしに行くことになっています。すべて委ねて申し訳ないのですが、実際できるというのは、それくらいのことなのかもしれません。それでも、またお会いできる、お元気で何より、そんなつながりが、それなりにできているということは、私たちが思う以上に、何かの意味があるのかもしれないし、しかしまた、だとしても私たちの力ではなく、お客さま方の「知らない方」が立っておられるからだ、と考えます。
今回、各自のコーヒーカップを持ち寄るといういつもの呼びかけがだんだん功を奏さなくなってきていたのですが、ある方が、このカフェの企画の初めのときの「思い」を教えてくださいました。スタッフ各自がいろいろなコーヒーカップを持ち寄ること、そしてお客さまがそれをお好みで選ぶということ、そこに意味があると考えていました、と。つまり、被災生活は、あるもので済ましたり、与えられるもので我慢しなければならなかったりすることの連続です。時にそれは、人間らしさや、自分らしさを抑えつけ、押し殺すことになるかもしれません。自分の好みでカップを選ぶ、その「選ぶ楽しさ」を感じられるように、さりげなく演出するために、いろいろなカップを並べてみようとしたのだ、というのです。
飲み物担当の私としては、機会あるごとに声をかけ、オーダーを求めるのですが、その時にも、なんでもいいとか、なくて構わないとか、そんな返事が多々あります。それで、仕方なくそれなりのものをお出しするのですが、お菓子にしても飲み物にしても、万事そんなふうであることを気にしていました。選ぶ楽しみ、ということ、またひとつのテーマのようにしてみたいと思いました。
「被災地」と呼ばれることは好ましくないことでしょうが、この梅雨末期に、「被災地」が西日本各地で急激に増えました。絵面にならないせいか、報道に上らない地域も水に浸り、停電や断水などの困難の中にある地域が、私の知るだけでもいくつかありますから、本当はもっと沢山あるのだろうと思います。熊本で触れてきた方々との時間は、今回の「被災地」の方々の「思い」にいくらか近寄ることができるために役立つかもしれません。事実、報道を見るだけでも、私のような者でさえ胸が裂けそうになるくらいに、息苦しく、しんどいのです。そこにいる人が、自分の身内や友人であるかのように、感じられることがあるのです。
そう。こんな時にこそ、私たちは、信じているかどうか問われている。「神われらと共にいます」――ほんとうに、そうか? ほんとうに、そう信じているのか? だったら、あの濁流と浸水の、がけ崩れの、どこに神がいるというのだ?
そう。いるんです。