豪雨とプライバシー

2018年7月6日

一年前の昨7月5日から6日にかけて、福岡県中部(九州北部)を中心に豪雨が襲い、多大な被害をもたらしました。
 
先週の豪雨や今週の台風は、その被災地を容赦なく責め立てました。月並みな言葉ですが、お見舞い申し上げます。様々な労苦のために、覚えて祈ることくらいしかなかなかできない立場です。申し訳なく思います。いえ、実のところそれどころではなくなっています。いまこの時、各地でもそうなのですが、とくにこの福岡県は厳しい状況で、これほど大規模広範囲に避難勧告などの指示が出たことは、記憶にありません。私の住まい自体は比較的安全ですが、知人友人関係では危機的な場所もあります。京都の教会の地もそれに該当しています。被災地ももちろんですが、各方面のために祈るばかりです。また同じ日に、という恨めしい思いに包まれますが、情況をお伝えできる場合はなんらかの情報発信をお願いしたいと思います。
 
さて、熊本の益城町へは幾度か訪れる機会を与えられている私ですが、曜日や機会の関係で、朝倉への慰問グループには参加できていません。つまり現場を直接見聞きしていないので、ほかの方の参考になるような情報も提供できません。
 
西日本新聞社が、豪雨当時を撮影したものを募っていました。それぞれの方が記録したデータをシェアしようという呼びかけです。いまは手軽に多くの人が現場の状況を記録できる時代になりました。眠っている資料が何か誰かの役に立つならば、との願いでしょうか。
 
撮影については、著作権や肖像権はもちろんのこと、取扱いに注意すべき点がいろいろあります。私も気をつけてはいますが、行きとどかない点や、無知なことがあろうかと思います。教会の様子も撮影することがありますし、役立つならば、と仲間内では共有扱いにしているものもありますが、それは悪用や侵害その他の事例がないだろうという前提に基づいています。
 
子どもの写真を明らかにすることは、はっきりと悪いことです。大人であっても、教会に来ているということを世界に公開すると、まずいケースがあるかもしれません。ひっそりと来たのに世界中に暴露されてしまったことで、致命的な迷惑をかけてしまう可能性もないわけではありません。その人を探し狙っている人物が世の中にはいるかもしれないからです。また、映っている背景や説明からの分析で、住所まで分かってしまうケースもあります。私のような素人でも、分かる場合がありますから、プロの狙い手からすれば、名前や住所を当てるくらいは造作もないことだと言えるのです。
 
いずれにしても、一定の役職に就いていてすでに公的な顔として公開している人物を除いては、名前や顔を明らかにすることは控えるのが基本です。それで、写真にはジッターやモザイクをかけることに私はしています。
 
わずかな検索をかけることで、こうした問題に関する法的な、あるいは考慮すべき問題点などが、簡単に分かります。こういうことにこそ、検索機能を働かせて、知るように努めるべきであろうかと思います。
 
とくに気になるのが、アニメなどのキャラクターの画像を平気で貼ること。その公式サイトなどの引用であればよいのですが、画像をもってきて貼ることは、明らかに法律違反です。自分で模写しても違反です。これも、少し調べると分かります。私も平気でやっている本の表紙もまずいのですが、事実上宣伝しているものについてはいまだ訴えた出版社はないというので、公然と甘えていることは明示しておきます。
 
容易に情報を発信できるということは、他人にとり知られたくない情報もばらまいている可能性がある、そういうあたりからスタートしてみる必要がある、ということです。



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