ゲゲゲの鬼太郎

2018年6月28日

ゲゲゲの鬼太郎・6月24日放送・第13話「欲望の金剛石!輪入道の罠」
 
テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」というと、子ども番組に過ぎないと見ている方々もいらっしゃるでしょうが、アダルトの方も、幼いころに白黒のテレビマンガ(あのころはアニメでなくマンガでした)を見た記憶があろうかと思います。さらに原点の『墓場鬼太郎』を知る方は、その第一回のおどろおどろしさを鮮烈に覚えておいででしょうか。目玉親父が鬼太郎の片目だと思っている方、もちろんそうじゃないのですね。
 
さて、テレビアニメとしてはこれまで基本的に5度にわたり放映されてきた「ゲゲゲの鬼太郎」。この春から放映されているのは、アニメ化50周年記念版ですが、これまでのと絵のタッチが大きく変わりました。猫娘の萌え化が著しいという評判です。しかし、そもそもこのアニメは、これまでにも社会問題の指摘が度々あり、現代文明への諷刺や批判をこめていたと言われていますが、今回のものはさらにそこに重みを加えているという意見が多く見られています。
 
今週24日のものを偶々見たのですが、ねずみ男が激安ダイヤモンドの店を経営し、大金持ちになります。鬼太郎がそれを怪しいと見たため、二人は絶交するのですが、これが最後に和解するところが、話のメインストーリーとなります。ただ、この激安ダイヤモンドというのは、ねずみ男が、妖怪・輪入道と契約し、人間たちの魂を引き渡すことで、その肉体をダイヤモンドに変えてしまうことにより作られたものでした。そのダイヤを一人百万円で掴み放題で売るところに、金持ちたちが殺到し、その人々を輪入道の元に連れて行くとまたダイヤを作る……。
 
人間の終わることのない欲望を描いているのですが、そんな「うまい話」に乗ってしまうという愚かさの中にもたとえば、そこには、そのダイヤモンドを他の本物と比較することのない人間たちがいました。また、それだけ大量にダイヤモンドが出回れば、価値が下がるのではないかという経済の原理に気づかない人間たちがいました。
 
そんなことも見抜けないから子どもじみているんだ、とお考えでしょうか。
 
私たちは、自分の見るもの知るものだけを本物と思い込むことはないでしょうか。特に、他に比較するものをもたない場合、それがどう本物であり他がどう偽物であるか、判断がつきにくいはずです。また、比較したにせよ、自分の見るほうを本物と断ずる根拠は、案外自分がそう思ったから、という程度のものに過ぎないことがあります。それは、聖書についても言えることです。あまり言うと、信仰が揺らぐ方がいらっしゃるかもしれませんからしつこくは申しませんが、自分が聞き覚えた聖書の意味だけが唯一真実であり、他の人の解釈は嘘だ、というように認めないタイプの声は、よく聞かれることだと思うのです。
 
また、もしこの聖書の言葉を聞いた自分が、それだけで何か偉くなったように錯覚することもしばしばあるような気がします。聖書の言葉だけを自分の前に盾とすれば、自分は常に正しいのだ、という錯覚もあります。聖書の言葉を掲げることで、常に自分が正義の味方であるかのように思い込んでしまうことから、よからぬ言動が生まれてくるのです。それがほんの自分中心の理解であるに過ぎないかもしれないのに、今度はその自分が正しい、という前提ができあがってしまうから、他の人に暴力的な振る舞いさえしかねない……。
 
もちろん、いまのこの考えの吐露も、それを冒しているかもしれませんから、慎重にならざるをえないのですが、キリスト教の歴史そのものが、こうしたことの積み重ねを経験してきた、と言えないこともないような気がしてならないのです。
 
互いが自らを正義と主張し合えば、そこに衝突が生じ、正義同士の争いとなり、戦争となる。戦いはどちらも正義を自認する者が傷つけ合う行為となる。こうした原理からの反省も空しく、歴史は次々とこれを刻み、いままた随所で――あなたも、私も――起こしているとするならば、あのダイヤモンドに目が眩み魂を奪われた人間たちと、どこが違うのだろうか、と思うのです。
 
気になるねずみ男と鬼太郎の友情ですが、そもそも輪入道のやり方にさすがに恐怖を感じたねずみ男が、鬼太郎に匿名で事態を報告します。誰もがねずみ男からの手紙だと感づき、もう相手にするなと呆れますが、鬼太郎はねずみ男を助けに輪入道のところに向かいます。そして輪入道に鬼太郎がやられる寸前、ねずみ男が自分の身を犠牲にして鬼太郎を守ろうとして車を突進させたところ、ねずみ男の犠牲は報われなかったのですが、そこで飛び散った車の破片の中で、サイドミラーが鬼太郎の手の届くところに落ちていたため、輪入道の光線を鬼太郎が咄嗟にそのミラーで跳ね返して輪入道をやっつける、ということで、鬼太郎とねずみ男は互いをたたえ合うこととなりました。
 
よくできた話です。日曜日の朝9時からの放映なので、興味をもたれた方で教会に出られるために視聴が難しければ、どうぞ録画して御覧ください。
 
但し、キリストの救いは、実のところダイヤモンド以上に「うまい話」です。そんな儲け話は、ねずみ男なら聞き逃すはずがありません。福音書にだって、こっそり畑を買う商人がいましたけど。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります