パンは重要な食べ物でした。日本を地に書かれたとしたら、聖書は「米」と書いたかもしれません。
「人はパンだけで生きるものではない」と、イエスが悪魔の誘惑を振り切ったとき、パンは食事全般を指す意味で使われた言葉と見ることができます。4つの福音書すべてに描かれた、何千人もの人に分けられたものは、魚も一部あったかもしれませんが、確実にパンが中心でした。
罪を犯したアダムに対する神の裁きのひとつは「お前は顔に汗を流してパンを得る」という労苦でした。パンなしには生きられない人間の姿を思い知らされましたし、それを得ることの大変さを感じさせました。学生の間は、食事も湯水もただで流れてくるような思いで毎日なんとも思わなかったかもしれませんが、独り暮らしをすると、一つひとつのことを親がどんなに金と手間をかけてもたらしてくれていたのかが分かると言われています。
イスカリオテのユダに、一切れの食べ物を与えたイエスの行動は、まわりの弟子たちにはそのときには意味が分からなかったようですが、それは「わたしの信頼していた仲間 わたしのパンを食べる者が 威張ってわたしを足げにします」という詩編41:10の言葉を思い起こさせます。食べ物とは、まず間違いなくパンのことだとされています。
このときイエスは、パンを液に浸してからユダに渡しました。ここでいうパンとは、実に堅いものであったらしいのです。それで、今でいうならスープにフランスパンを浸して軟らかくした、というふうなイメージで捉えるとよいのでしょう。
小麦のパンは上等品で、庶民は安い大麦のパンを食べました。聖書の記述から換算すると、2〜3倍の価格差はあったものと見られます。さらに小麦の中でも、精練された小麦粉となると、さらに贅沢な食べ物となったことでしょう。
そして、イスラエル民族にとり重要なのが、「マッツァー」と呼ばれる「種入れぬパン」。イースト菌を入れずぺちゃんと焼かれたパンをイメージしてよいでしょう。パン種を入れて膨れるパンは、特にイエスにおいて、良いイメージを与えませんでした。新約聖書の中で、高慢になるという意味を表す語の中に、「膨れる」という語があります。人間威張ると膨れるというのは分かるような気がします。
膨れないパンとなると、極論すると、塩なしクラッカーあたりが想像するによいかもしれません。過越の祭は、十字架のときの祭としてよく知られますが、その後一週間、恐らくは大麦の、種入れぬパンを食す祭が続きます。慌ててエジプトを脱出するときに、イスラエル人が食べたとされるパンです。ここの祭の期間は、イスラエル人にとり、大いなる集会の時でありました。いまのクリスチャンならば「聖会」と呼ぶような特別な集いです。
日本では、本来米のみを表すはずの「ごはん」という言葉で、命を支える食事全部を意味することができます。同様に「パン」は、命を保つ食糧を指すことがありました。他方イスラエルでは、民族のアイデンティティである出エジプトの出来事を記念する最大の祭において、パンが中心に置かれました。こうした文化的背景の中で、ヨハネによる福音書のイエスは自身を「命のパン」と繰り返し語りました。共観福音書では、晩餐のときに、「これはわたしの体である」と、パンを裂いて配りました。やがて裂かれるイエスの体をも暗示しているものでしょうが、この儀式は、後世神学的に様々な論争を呼び、意見の相違をもたらしました。挙げ句、分裂や争いさえ惹き起こしたのですから、私たち人間は、イエスのパンを形だけ受け継いだのではないかとさえ案じます。主の晩餐に与る私たちもまた、形だけのものとしてこれをスルーしていかないように、一人ひとりが聖書の中から教えられていきたいものだと思います。
(参照 :『食べものからみた聖書』河野友美・日本基督教団出版局)