それでも……

2018年4月21日
 

教会でゴミ拾い――月に一度、2人組で出て行って、地域にささやかですが奉仕の精神。繁華街に地域のアナウンスが流れています。「○○町商店街では、定期的に地域清掃に努めております」――あ、これ完全に、商店街の清掃員と思われているな、とタイミングの悪さに舌を出してしまいました。でも、誰がしようと、街がきれいになるのなら、それはそれでよいこと。売名行為ではありませんからね。
 
組になっていたのは、ろうの方。この清掃の話も含め、ひったくりに気をつけるように言われています、などといまアナウンスで流れていますよ、とお知らせしたら、「そうか、街にはそういうのが流れているのか。聞こえない立場からすれば全く分からないことだ」との感想。駅のアナウンスもそうですが、情報が耳でしか知らされないような状況は多々あります。
 
ところで、拾うゴミの中で第一位はタバコの吸い殻なのですが、その日は珍しく、タバコの空き箱がありました。意外と空き箱はないものです。しかし、見慣れない空き箱。恐い写真と、ハングルが載せられています。大体、内容は推測できますが、教会の韓国出身の人に読んでもらいました。
 
年齢の禁止事項と、それからこの写真のような事態をもたらす警告が、物質名と共に書いてあるといいます。そして、「それでもタバコを吸いますか?」という問いかけがあるそうです。
 
欧米でもタバコのパッケージはこういうふうな感じだと言われていますが、日本のタバコの注意書は申し訳程度。このインパクトのある写真と警告が常識とはなかなかこの国ではならないものですね。韓国でも、タバコ会社が「吸うな」と言っているという説明を受けました。
 
タバコを吸うなんて! そんなふうに、眉をひそめるクリスチャンもいるでしょうし、喫煙するクリスチャンは、少しばつの悪い顔をするかもしれません。けれどもこれ、タバコだけなのかな。
 
「それでも○○しますか?」という疑問文を用意します。○○のところには、何か別の言葉を入れてみましょう。あなたなら、何を入れますか。
 
入れたくないものが、あるのではないですか。これだけは、入れたくない、というものが。
 
これ以上野暮なことは申し上げまますまい。クリスチャンならば、いま問いかけられているはずです。もちろん、私はこの疑問文を読んでもらった時から、のしかかっていますから、参っちゃってます。
 
「それでも○○しますか?」と。



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