説教「絆」

2018年4月11日

先月11日は、東日本大震災から7年を経た日でした。その時、実際には語ることはありませんでしたが、説教用原稿としてまとめた長大な「復興」を掲載しました。一カ月経った本日、今度は実際に語った説教「絆」の原稿を紹介しようと思います。1時間以上語っても許される環境の中、震災から一年余りの6月に、パワポで要所を視覚的に押さえながら、共に祈り思うひとときを分かち合いました。お時間があるときに、その分かち合いの中にお加わりくだされば幸いです。
 
 
 
どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。(ローマ8:39)
 
         絆
 
ホセア書11:1-4 (新改訳)
イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた。それでも、わたしはエフライム歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった。わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた。
 
ローマ人への手紙8:35-39 (新改訳)
私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。
 
 
【祈り】
 今から、たいへんデリケートな問題を扱います。言葉は、生きる力になると共に、人を殺める刃にもなりうるものです。どうか、言葉や想いが、苦しみの中にある人の心を傷つけることがありませんように。願わくば、私たちの中にある、神によりつくられたよい部分がつながり、神の思いに沿うはたらきが響き始めるように、それに役立つように、説き明かしが用いられますように。
 

 
1.人の絆
 
 大切な聖言葉の取り次ぎに立てられました。重い責任ですが、この時期私は、実は心に重いものがあります。
 
 何も、私の誕生日が来て年齢を重ねるから、というわけではありません。
 
 かつて教えた小学生、それは私の長男と同い年なのですが、その一家が殺害されたのが、9年前の6月でした。
 
 それから、昨日は、沖縄戦終結から67年目の日でした。新婚旅行で沖縄を選んだ目的のひとつは、その戦跡を訪ねるためでもありました。
 
 この沖縄の話題を題材に取り上げることもありえたのですが、ここは私の感想や意見を語る場ではありません。今年の初めに上より示された事柄を、いま一度深めつつ、準備をいたしました。牧師に負けず長いひとときとなるかもしれませんが、しばらく神に心を向けつつ、同じ恵みを抱くことができますように、おつきあいください。
 
 
 1995年から、「今年の漢字」が募集され、発表されるようになりました。
 
 日本漢字能力検定協会が、過ぎていこうとするその年を象徴する漢字一文字は何か、と募集するものです。第一回の1995年は――阪神淡路大震災の年でした。そのとき、「震」の字が選ばれました。私は京都にいました。激しく突き上げる縦の揺れを経験しました。テレビが落ちてきていたら死んでいました。このとき、人々のつながりを見直す声が現地で高まりました。大切なのは人なのだ、と。
 
 昨年2011年は、「今年の漢字」に、「絆」という文字が選ばれました。難しい漢字が選ばれました。常用漢字にはありません。しかし東北の地元紙・河北新報には、昨年の6月8日にすでに、こんな川柳が掲載されていました。<絆かな今年あらわす一文字は>と。
 
 世の中は、すっかり「絆」の連呼に染まっていました。
 
 ただ、被災地でないところであまりに安易に「絆」「絆」と叫ばれることに、私は少々抵抗を覚えました。「絆を結ぼう」とか「絆を深めよう」とかいう言葉が、あまりに軽々しく使われすぎてはいないか、と。
 
 今、いわゆる瓦礫処理について、また農産物などについて、被災地を受け容れられないという反対運動の激しさが報じられています。健康被害への不安を、特に子どもたちへの影響の心配を私は理解します。でも、あれほど震災後、「絆、つながり」と連呼していた同じ人の言動が被災地の人々にどう見えるかを思うと、切なくなります。その都市が瓦礫の試験焼却をすると発表しただけで、そこへ予定していた修学旅行までもとりやめたという話も実際にあるのです。
 
 そもそも「絆」とはどういう意味でしょう。
 
 ここに、「キズナテープ」という商品があります。いわゆる絆創膏です。これを私はいつも携帯しています。我が子の、あるいは職場での子どものちょっとしたケガに重宝します。どうして「キズナテープ」という名前なのでしょうか。それは、「バンソウコウ」を漢字で書くと分かります。「バンソウコウ」を漢字で書くと……「膏」は塗り薬ですね。「創」は口の開いた傷のことです。そして「絆」が、きずな、つなぐもののことです。
 
 この「絆」という漢字の成り立ちは、おおよそでは、旁のほうは「八」+「牛」で、いけにえの牛を二つに分けること、そしてそれを扁の「糸」で縛ることだ、と言われています。しかし使われている意味からすると、本来馬などの動物をつなぎとめておくための紐のことをいいます。「ほだし」ともいって、切ろうとしても切れず、離れることのできない人どうしの結びつきのことをいうようになりました。理屈を曲げてついほろりとやってしまうときに使う、「情に絆される」という言葉もあります。
 
 嫌がり、憎みさえした親子の関係。できることなら断ち切りたいとさえ思った。でも、やはりそこには切ろうとしても切れない何かがあった。たとえばそういうものが「絆」というものです。私の子どもたちのうち、上の二人は大学生になりました。私を嫌って独立しようともがいていますが、私も同じ年頃、私の父との関係は同じでした。しかし、親子の絆はそう簡単に切れるものではありません。
 
 私の語感では、「絆」は、「見いだす」ことはあっても「つくりだす」ものではありません。困ったときに慌てて「結ぶ」ものではないと思っています。
 
 これは推測ですが、昨今の「絆」という言葉は時折、たんに「つながり」の意味で使われているように見えます。へたをすると、「愛情」の意味だと勘違いしているのではないかと思われるふしもあります。日本全国にひろがった、この「つながり」を称える気運は、やがて大きなうねりとなって広がっていきました。「みんなでがんばろう」「日本は一つ」「今こそひとつにつながろう」などの声が合唱されました。
 
 振り返ると、その前の2010年の流行語大賞は「無縁社会」という言葉でした。一見絆と逆の事柄のようですが、通じるものがあります。人と人とのつながりが欠けている世の中だからこそ、つながりを取り戻したい、という意味で「絆」という言葉が使われているのかもしれません。
 
 たしかに、人々のつながりが最近薄れてきた、などともよく言われます。けれども、地域のつながりの崩壊は、実は明治時代に、すでに大きな問題となってしまた。江戸から明治初期の離婚率は、現代の2倍は軽くあったと言われます。家族の崩壊も甚だしく、日本の近代化は、いわば無縁化の歩みであったのかもしれません。
 
 近年、情報機器の発達により、人々は誰かとつながることが容易になった一面があります。街を見れば、始終誰かとつながっていたい人が大勢いることが分かります。時に歩きながら――自転車ないし自動車を運転しながら――ケータイやスマホをいじる人。しかし周囲の迷惑や危険性を気にしているようには見えません。遠くの誰かとつながっているつもりかもしれませんが、現実にそこにいる周囲の人とのつながりは拒んでいるように見えます。
 
 
2.力を得たい
 
 もちろん、つながることそのものが悪いことではありません。東北の被災地の人々は、あの日からずっとこのつながりを必要としています。今、私たちはどうでしょうか。新聞記事も、震災一周年のお祭り騒ぎを最後に、全国紙からは、その後火が消えるように、なくなっていきました。震災関係のニュースは、放射能の問題ばかりです。尤も、西日本新聞は頑張っているほうですが。
 
 ここで東北地方について改めて捉えなおしてみましょう。
 
 日本史の中で、九州は大昔、重要な位置にありましたが、その後都が畿内に定まっても、大陸との関係のため、比較的重要な地方の一つとして留まりました。しかし東北は、大和朝廷から見て、終始外国のようなものでした。
 
 有史以来、東北は、「みちのく」と呼ばれました。「道の奥」、地の果てです。古くから「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、大和朝廷に従わないとして、蝦夷征討と呼ばれ、征伐されたのでした。801年には坂上田村麻呂が蝦夷を征伐し、蝦夷の指導者アテルイは処刑されています。今の歴史の教科書にはこのことが掲載されています。頼朝や尊氏、家康といった、後の「征夷大将軍」の称号は、この坂上田村麻呂の蝦夷征討のときに、初めて登場したのでした。
 
 先頃、一冊の本が出版されました。この東北に、文字通り骨を埋めたアメリカ人の記録です。タマシン・アレンという女性です。『みちのくの道の先』という本で、タマシン・アレンの生涯が詳しく紹介されています。
 
 1890年、信仰深い両親のもとに生まれ、父の名トーマスに基づいてタマシンThomasineと名づけられました。神のために働く子となるように、と祈られ、宣教師となり、1915年、日本へ渡ります。教育者として、やがて仙台や塩竃、福島のいわきなどで英語を教えたり幼稚園を建てたりしながら、1928年、岩手県に入ります。西南学院の建築にも携わった、あの有名なヴォーリズ夫妻の協力も仰ぎながら、久慈に幼稚園を建設。日曜礼拝には村々から子どもたちが200人も集まってきたといいます。
 
 1933年の三陸大津波での救援活動にも走り、後の1960年チリ地震の津波による被害のときにも再び岩手の海岸を駆け巡ります。僻地として、当時もなお「日本のチベット」と呼ばれていた、東北の地の教育と伝道に生涯を捧げました。1976年久慈に、まさに骨を埋めたミス・アレンは、香椎バプテスト教会と同じ、北部バプテストの宣教師でした。もっと、この精神と業績は、知られてよいと思います。
 
 さて、もう一つご紹介します。有名なインターネットのサイトです。「復興の狼煙(のろし)」といいます。
 
 発信地は、岩手県釜石市。「釜石の奇跡」と呼ばれたあの街です。釜石の小中学校にいた子どもたちの命が、あの津波で一人も失われなかったのです。それは、徹底した防災教育のなせるわざでした。迷わず逃げ、中学生が小学生を引っ張っていくなど協力もし、間一髪被害を免れたのでした。
 
 その「復興の狼煙」は、盛岡の広告会社の社員などが始めたプロジェクトです。まず釜石の人たちの写真を撮り集めました。写真の背景の多くは瓦礫や仮設住宅。そうでなくても、どれもが今その人々が生活しているふるさとの、変わり果てた風景です。そこにひとつシンプルな言葉をつけてポスターをつくり、全国に呼びかけて、協力者に販売し、アピールしてもらうというものです。もちろん、売上げは復興のために用いられます。
 
 なんとか希望を見出したい。でも実際、見出せないような状況です。そこから立ち上がる力を人々は求めています。力が欲しいのだけれども、経済的にも精神的にも、そんな力が出てくるようには、ふつう考えられません。私たちも、安易に「がんばれ」などという言葉をかけることもできません。そもそも「頑張る」という言葉は、「頑な」になることを意味しています。旧約聖書で「うなじのこわい民」とある、あれです。「我を張る」から来たとも言われます。なんとか自分の力でやっていけ、とけしかけているのかもしれません。精一杯頑張っている人に向けて、それはきつい仕打ちにも聞こえます。
 
 かつて私は、救いを求めて苦しんでいました。皆さまもそうでしょう。自分ではどうすることもできない罪の苦しみに喘いでいました。なんとか自分で立ち上がりたい、ともがいていたのです。
 
 時に、「自分を信じて」立ち上がろうともしました。自分は信じられる、と自分に言い聞かせることもありました。けれども、結局気づくのです。自分を信じることなどできない、自分ほど信じられないものは実はないのだ、と。
 
 自分だけを信じて、などという歌のフレーズが巷に溢れています。自分独りで頑張るということが、美しいかのように世間は思っています。士師記にありますが、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」(士師21:25)というような状態です。また、子どもたち向けのアニメやマンガは、仲間がいれば強くなれると励ましています。けれども実際は、子どもたちは仲間との関係を崩さないことに絶えず気を配っています。何気ない発言が、いじめの原因となり、標的にされかねません。ちょっとでも異端分子がいたらそれをいじめ、そのことで逆に自分がいじめられないように自分を守ることにさえなるからです。大人たちにも、当然頑張れない人がいます。ひきこもったり、人との関係を断ったりしています。お歳暮も年賀状も、へたをすると絶滅寸前の世の中なのです。
 
 
3.ローマ書8章
 
 それでは、新約聖書ローマ人への手紙の8章をお開きください。ローマ書は、おそらく紀元60年より前にパウロが、コリントまたはその近郊で記したものであろうと考えられています。手紙ではありますが、パウロの神学がよく描かれている論文のようでもあり、ルターの宗教改革にも大きな影響を与えました。因みに先週、岩波新書から『マルティン・ルター』という本が出ました。ルター研究の第一人者である徳善義和という方の本ですので、今から読むのを楽しみにしています。
 
 さて、パウロというと、信仰により義とされる、と唱え、すべては神の恵みの故に、と福音を説いた優等生のイメージが、ないわけではありません。しかし、パウロはその信仰の故に、耐えがたい辛い目に遭っていたことを告白しています。パウロもまた人間です。血も涙もある人間です。痛みを覚える人間です。あくまで想像ですが、「こんなことなら信仰を止めてしまいたい」と思ったことが、幾度もあったと私は思うのです。
 
 今日の個所に並んでいます。「患難・苦しみ・迫害・飢え・裸・危険・剣」(8:35)、実に凄まじい体験です。想像すると、背筋が凍ります。味わったことがないのに、パウロが並べているはずがありません。たとえば第二コリント書には、こうあります。「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(コリント二11:23-27)と。ここでパウロは、「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか」(11:29)と言っています。そして「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」(11:30)と続けています。実際めげそうになったことがあるからこそ、こう書いたはずです。パウロはローマ書7章で、嘆き苦しんだ、「罪の律法」とか「死のからだ」とかいう言葉を使い、自身を嘆きました。それは、信仰の揺らぎを覚えた自分への思いだったのかもしれません。プロテスタント神学者はしばしば、パウロ大先生を聖人のように見なしますが、私はもっとパウロを人間として捉えてもよいと思います。一人の人間としてパウロは、もう神との関係など切ってしまいたい、と思ってもおかしくないくらいに、辛い目に遭いました。もう信仰などやめたい、と考えても無理のない状況でした。
 
 パウロは詩編44:22を引用しています。引用は、新約聖書では基本的に七十人訳(セプトゥアギンタ)からです。紀元前3世紀からじわじわと完成していったであろう、ギリシア語訳の旧約聖書です。ヘブル語のほうでは、新改訳聖書によると「だが、あなたのために、私たちは一日中、殺されています。私たちは、ほふられる羊とみなされています」となっています。「一日中殺されている」とは凄まじい表現です。敵に囲まれ、あざけられ、それでもなお神を待つイスラエルの民の強い信仰を詠んだ詩です。そして、神が何の反応も示さない、神の「沈黙」の中での祈りです。パウロもまた、そんな絶望ぎりぎりのところに置かれていたのです。
 
 パウロはこの詩篇の後で、「そうじゃない、違う」という意味で、強く「しかし」と冒頭に掲げて言います。「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」(ローマ8:37)と。ギリシア語からすると、この勝利云々の部分は、「勝つを超えて」というような言葉です。日本語だと「勝って余りある」というところでしょうか。
 
 パウロは自己嫌悪にさえ陥りましたが、そこから脱出する道も知っていました。私たちを愛してくださる方がいる。もちろん、イエス・キリストです。キリストは、私たちを死ぬほどに愛してくださいました。いえ、私たちを愛するために、ほんとうに死んだのです。パウロはそのイエスの十字架の死を、自分の罪の贖いだと知りました。それによって、勝って余りある人生となった、というのです。
 
 つまり私たちもまた、神を信じれば大勝利、神を信じればよいわけです。そうです。神を信じればすべてはハッピーになります。皆さん、神さまを信じましょう――。
 
 こういう一面が、嘘だとは申しませんが、必ずしもすべてそうだとは言えません。神を信じた人も、様々な問題を抱え込みます。いえ、クリスチャンだからこそ、敏感に知る問題もあります。クリスチャンだからこそ、「おちこみ」がある、とも言えるでしょう。
 
 
4.キリストの絆
 
 その背景の一つに、私は、キリストを信じた者の、「二重国籍問題」があると考えています。
 
 たとえば日本人の女性がアメリカで子どもを産んだ場合、その子はアメリカの国籍ももつことになります。そして日本の国籍をももちます。親の国籍と、生まれた場所による国籍とがどちらも持てるのです。このようにして、二つの国籍をもつ人がいます。ただし日本では、22歳になるまでに、どちらか一つの国籍を選ばなければならない、とされていると聞いています。
 
 クリスチャンはもちろんこの地上で生まれ、地上の国の国籍をもっています。しかし、神を信じたとき、親の国籍が別にあることに気づいたのです。養子として、神の子とされた私たちは、天の父なる神の国にも属すことになったわけです。
 
 神の国の市民権は、自分の力では取得することができません。罪を赦すキリストの贖いにより罪を赦されて、与えられたからです。自分の中に罪がない、と言える人はひとりもいません。そう言うことそのものが罪だ、とさえ聖書は指摘します。その罪を赦すには、神の惨い犠牲が必要でした。その罪の中から私を救い出したのは、イエス・キリストです。
 
 クリスチャンは、かつてどこかで、このイエス・キリストと出会いました。それは決定的な出会いでした。自分の生き方が変わりました。それまでの自分が間違っていたことを思い知らされました。自分は駄目だと絶望的になりました。しかし、その駄目さ、言い換えれば「罪」をも、全部イエスのあの十字架の死によって、赦されたのだと気づいたのです。この私の身代わりに、私の罪を背負って、イエスは十字架についたのだ、と。
 
 このとき、神の国の市民権を与えらました。キリストがパスポート、あるいはIDです。キリストによらなければ、神に国に属することはできません。イエスは「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」(ヨハネ15:5)と言いました。キリストにつながるとき、私たちは豊かな実りを与えられるのです。イエスが私たちを選んだ目的はまた、「それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」(ヨハネ15:16)とも言われていました。
 
 けれども、それほどにすばらしい神の救いに与ったのに、あるいはむしろ与ったが故に、私たちは、神の掲げる理想とはあまりに違う自分を見てしまいます。何の実も結んでいないではないか、神の子とされたのに、なんというざまなのだ、と。
 
 私たちは、まだ完全に神の国の住人とはなっていません。依然として、救われる前と同じ、地上で生きています。目に見える現象の世界に生きて、様々な制約を受けています。だから、心でいくら神を求めても、実際にはちっともそれをこの身に実現できないのです。地上の国籍を持つ私は、ぶざまな日常を送ることから、逃れられないのです。
 
 こうしてクリスチャンは、自己嫌悪に陥ります。本当に自分は救われているのだろうか、という疑いさえ、悪魔はそっと差し入れてきます。これはパウロにも及んだことでしょう。
 
 しかしパウロは、この二重国籍の事実から目を背けませんでした。その二つの国にまたがる十字架を見ました。そこで血に染むぼろぼろのからだを示すキリストを見ました。
 
 まさにイエス・キリストこそ、人と神とを結びつける絆であります。神が私たちを、切っても切れない関係の中に結びつけています。たとえ私たちが忘れていても消えてなくならず、私たちがたとえ切ろうともがいても切れることのない、結びつきが、私たちをしっかりと結びつけ、離さないでいるのです。だからパウロは、「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません」(8:38-39)と宣言できたのです。
 
 どうしてでしょう。どうしてパウロはそこまで断言できるのでしょう。
 
 キリストが罪を購ったから? 確かにそうです。でもパウロは、旧約聖書も知っています。旧約聖書の神はあまりにも冷たく、あまり愛を感じない、いわば恐い神に見えないでしょうか。イスラエルが頑なになり背を向けると、いとも簡単に隣国に攻め入らせ、捕囚させたり、ついには神殿も崩壊させたりしたのです。摂理というには、愛する民族を、あまりに突き放しているようには、見えないでしょうか。
 
 
5.ホセア書11章
 
 私たちは次に、旧約の預言者の言葉に耳を傾けます。
 
 預言者は、神の言葉を預かる者です。人々に、また権力者やエリートたちに、神の言葉を告げました。しばしば、神に立ち帰るべきだと叫びました。ホセアもその一人でした。預言者は大衆や権力者の思いとは違うことを告げることが多く、そのため、孤立し、疎んじられ、命を狙われたり奪われたりすることもありました。ただ、ホセアのように、身を以て痛みとともに神の苦しみを背負う体験をもつ預言者は独特です。その妻との間のことは、すでに今年初めの説教の中で語られている通りです。
 
 ホセアは、自分自身の体験と重ねながら、涙とともに11章を叫んでいたかもしれません。そこではまず、「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した」(ホセア11:1)と告げています。
 
 世界を創り、人を造った神は、神の声に聞き従うアブラハムやイサク、ヤコブと、個人的な契約を結びます。その後、いわゆる出エジプトによって、神はイスラエルという民族を選び、導くことになります。モーセの契約により、イスラエルは神と、いわば養子縁組をしたのです。そのため、このころのイスラエルについて「幼いころ」と呼んでいます。これは少年や若者を指すこともある言葉で、未熟な状態を表します。自分で責任を負えない立場です。神はそのときからずっと愛を注いでいました。そうして、異教と豊かさに溢れるエジプトから、カナンの地に呼び出します。
 
 続いて、「それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた」(ホセア11:2)と述べます。
 
 神とイスラエルとの関係は親子のようです。親たる神が、イスラエルの民を子と呼びます。しかしイスラエルは神を離れていきます。異教の神バアルや偶像を慕い、それを神として礼拝します。ここの動詞は未完了形といいまして、そこで終わらず今なお続いている様子を臭わせます。なるほど、ホセアの身にも及びました。いくら呼び止めても、妻ゴメルは他の男に走ったのです。
 
 しかし神は、イスラエルを愛しています。「それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった」(ホセア11:3)
 
 彼ら、つまりイスラエルは遠ざかったのですが、わたし、つまり神は、エフライムに教え、抱き、癒しました。エフライムというのは、北イスラエルにあたる土地ですが、イスラエル全体の中でも最も豊かな土地と見なされています。ホセアは、南ユダ王国で預言活動を行っていますが、そもそもこの北イスラエルの出身だったようです。ここでエフライムという名は、イスラエル全体を指している表現と見てよいでしょう。間もなくB.C.722、アッシリアの手によりこの北王国は滅亡します。ホセアの活動末期か直後の出来事です。滅び行くエフライムを嘆く思い、切ない思いがこめられているように見えます。そのエフライムに「歩くことを教え」た、という動詞は珍しい動詞で、神がその前を歩んでついて来るように導いた、というイメージを起こさせる言葉です。ちょうど親が子に、ついておいで、と言い、手を引っ張っているかのようです。そして民が傷つけばそれを癒し、神は親として最高の愛を示しました。この神の愛を、神の子とされたイスラエルの民は、理解しませんでした。えてして子どもは、親の恩に気づかないものです。
 
 さらに神の回顧するような言葉が続きます。「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた」(ホセア11:4)と。
 
 親子関係をにおわせていた書きぶりが、少し変わりました。「綱」「きずな」「くつこ」という言葉は、家畜のための言葉です。「くつこ」は、噛みつかないように、また作物をかじらないように、牛馬などの口にはめるかごのことです。妨げになるものを取り除いて、「やさしく」食べさせたと言います。ダビデの言葉に同じ語が使われています。謀反を起こした息子アブシャロムにエルサレムを追い出されたダビデ王が、イスラエルの北部ギルアデのマハナイムから、アブシャロムを迎え撃とうとするとき、ダビデがヨアブ、アビシャイ、イタイという戦士のリーダーたちに言います。「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」(サムエル二18:5)と。この「ゆるやかに」がこの「優しく」と同じ語です。たとえ反逆した息子でも、命はとるな、助けてやってくれ、という親心の含まれた語です。
 
 また、この「きずな」は原語では、「コード・紐・綱」を表します。ここで「綱」「きずな」と書かれている語はそれぞれ別の言葉ですが、イスラエルのレトリックでは、同じ内容を別の語でこのように対比して並べことがしばしばあります。意味に違いはないとされます。ただ、「人間の綱」とは面白い表現です。血の通った関係をにおわせています。この「人間」という語は、なんと「アダム」です。アダムのために神は「永遠に生きないように」(創世記3:22)とはからいました。しかし、「いのちの木」(3:22)を神は後に用意することになります。キリストは「わたしはぶどうの木」(ヨハネ15:5)だと言いました。そこにつながっていれば、豊かな実りが約束されていました。
 
 このロープは、神から与えられたものでした。イスラエルがいくら神を忘れ神から離れかけても、神はその絆を切ろうとはしませんでした。子どもが親に逆らおうとも、親は子を見棄てないように。たとえ私たちが勝手に絶望して、神との関係を切ろうとしても、決して切らせてはくれない、強い綱、強く引っ張られている綱です。神は旧約の時代からずっと人を愛し続けていました。ただ人がその愛の強さに気づいていないだけでした。ついに、神はキリストを与えました。キリストの命を切り裂いて、私たちの罪を滅ぼしてくださいました。だから、どんなものも、「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません」(8:39)とパウロは言えたのです。
 
 
6.力は与えられる
 
 震災後、日本中を、「ひとつになろう」というかけ声が巡りました。なんだかそこに意図的なものさえ私は疑いました。人の力で、そしてもしかすると何らかの特定の思想や権力の下に、むりやり一つにまとめさせられるような危険性を覚えました。しかし「ひとつになる」ということは、人の思惑で、強制的に一つにさせるものではないと思います。聖書は、唯一の救い主であるイエスに、その枝として一人一人がつながっているだけでよい、と伝えています。つながってさえいれば、いのちが送られてきます。このとき私たちの側が、やたら頑張る必要はありません。我を張るのはむしろ反対です。自分が何かをしなければ救われない、ということはないのです。「ひとつになろう」と力まなくても、キリストが一人である以上、そのキリストにつながる私たちは、すでに一つなのです。
 
 そうです。キリストのからだなる教会は、神の目に一つなのです。
 
 そもそも教会とは、このようなロープ、絆で引かれ、まとめられた人々の共同体です。教会は見た目には様々ありますが、ひとつのキリストにつながっています。また、教会に属する人々もいろいろですが、一人一人がキリストに直接つながっています。私たちの目には、いろいろな教会やクリスチャンが、ばらばらの信仰を表明しているように見えるかもしれません。
 
 しかし、キリストは祈りました。ヨハネの福音書17章では、父とイエスとが一つであったように、信じる弟子たちもまた一つであるように、との長い祈りでした。私が京都で働いていた――とはいっても、私は子どもたちに勉強を教える部門でしかありませんでしたが――、YMCAはその祈りから生まれました。そのマークの中には、「彼らがみな一つとなるためです」(ヨハネ17:21)と記されています。カトリックもプロテスタントもあらゆる教派を含んで協力し活動するこの組織の存在意味は、決して小さくないと思います。
 
 YMCAとは、Young Men's Christian Association のことで、日本語では「基督教青年会」と訳します。「青年」という訳語を作ったのが、小崎(こざき)弘道という神学者・牧師です。熊本バンドの一人で、東京赤坂に霊南坂教会(山口百恵と三浦友和の結婚式で有名になった。三浦はクリスチャンだという)を建て、新島襄の次の同志社校長を務めました。小崎弘道は、また「宗教」という訳語をつくった、とも言われています。そのラテン語Religionは元々、「再び・結びつける」という意味からできた言葉という教父ラクタンティウスの説が有力です(もう一つはキケロの「集める」説)。神と人とを再び結びつけるという意味があるとすれば、なんと適切な言葉でしょうか。
 
 教会は、そのようにして結びつけられた人々が織りなす、キリストのからだです。いろいろな人がいます。いろいろな考えがあり、いろいろな感情も起こります。時にそれがぶつかり、不愉快な思いをすることがあるかもしれません。また、他人と比較して、自分はダメだ、という思いを、いっそう強くする人もいることでしょう。教会には、積極的な人・消極的な人、感情を出す人・気持ちを抑える人、強い人・弱い人、さまざまな人がいます。はっきり意見を言える人の声ばかりを採用するのではなく、なかなか言い出せない人の思いまで十分感じ取る、心の耳をもつ教会でありたいと願います。
 
 今日、私たちは見ました。あのパウロでさえ、絶望の人だった、と。パウロはまず自分の中に、絶望を覚えました。辛い体験もありました。福音を伝えようとするユダヤ人たちに対しても、何度絶望を感じたか知れません。伝えた異邦人教会にも裏切られた思いをもち、涙の手紙を書き送りました。アテネで嘲笑されたように、ギリシア思想の世界にもきっと失望したことでしょう。苦しみの連続に、いわば心は折れっぱなしだったことでしょう。
 
 考えてもみてください。あれだけのいわば修羅場を潜ってきたパウロです。手紙を大量に書き、メッセージを送ったパウロです。自分でなんとかしなければ、という強い思いや責任感があったことは明白です。使徒の働きや書簡を、そういう人間パウロの目で見たとき、彼がいかに焦り、悲しみ、絶望を覚え、もがき苦しんだか、分かります。三度肉体の棘を取り去ってほしい、と祈った(コリント二12:8)のは、たった三回ではなく、毎日毎日数えきれないほどに、という意味です。しかし、これだけ苦しみ悩みもがいたからこそ、結局は神の恵みの中にあるのだというところに落ち着いていくのです。最初から何の努力もしない人間が、じっと神の恵みにとどまりましょう、などと口にしても、空しくはないでしょうか。
 
 パウロはキリストから離れませんでした。離れようにも、離れられませんでした。パウロが偉いのでしょうか。いえ、パウロが、というよりも、キリストがパウロを離さなかったのです。人間の側から頑張らなくても、神のほうが、離してくださらなかったのです。
 
 
7.ほんとうの絆
 
 イエス・キリストが、神と私たちとをつなぐ絆である、と聖書から聞きました。イエス・キリストの傷口が絆となって、神と人とをつなぎます。キリストの愛は、傷口に貼る絆創膏のように、しっかりとくっつき、罪を覆うものでした。十字架の血による贖いの道が与えられました。この道を通らなければ父のもとへは行けない、そんな十字架の救いの道でした。私たちはこの「絆」であるイエスにあって、神とつながり、そして兄弟姉妹ともつながっています。
 
 たとえそれが一時的に見えなくなって、自分が離れてしまうのか、見捨てられてしまうのか、と不安を覚えたとしても、弟子たちはイエスとの結びつきの中に留まりました。私たちもまた、神の力でしっかりとつなぎとめられています。助け主である聖霊がはたらいている限り、私たちは神とつながっています。そう告白することが、信仰です。さらに、兄弟姉妹とも、つながっていることができます。それが教会です。
 
 私たちの側から、絆を強めるために何かをしなければならないでしょうか。いえ、必要ありません。むしろそうした思いは邪魔です。散歩に連れ出した犬のように、私たちは丈夫な紐で神につながっています。私たちが暴れて主人を振りきってそこから逃げ出すならば話は別ですが、主人の歩くペースに任せて歩むならば、決して離れることはありません。それどころか、時として犬の側のわがままな振る舞いに、主人のほうがつきあって一緒に走ってくれることもあります。後で怒られるかもしれませんが。全くよく名づけられたもので、この犬の散歩の紐のことをイギリス英語ではlead(リード)と言います。「導く」とう意味の言葉です。神のリードは絶妙です。[アメリカではleashリーシュ]
 
 聖書を読むとき、祈るとき、私たちがこの神の愛の中にあることを知ることができます。愛の絆に結びつけられていることを覚えます。目には見えなくても、つながりが感じられます。わざわざ自分が結ぼうなどと思う必要もなく、神のほうが遠くから私に現れてくださり、血だらけの手を伸ばして私を握り締めてくださった綱、それを強く引く主の力。これが本当の絆、切れることのない絆です。
 
 驚くべきことに、聖書というものは最初から最後まで、この神との絆という考え方に貫かれているようにさえ私には見えます。
 
 最初の絆は虹でした。宮城県から出た復興ソングの一つに、「虹を架けよう」というのがあります。東北各地の町々に、虹を架けようと歌うのです。虹は、ノアに現れた、神の「契約のしるし」(創世記9:13)でした。大水はすべての生き物を滅ぼすことはない、と。虹が、神と人間とをつなぐ絆となるというのでしょう。
 
 聖書の最後の黙示録には、「香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った」(8:4)とあります。私たちがイエスの名を通して神に祈るとき、その祈りは煙として、つまりまさに狼煙となって、神へと届けられるものとなるのです。キリストが再び訪れるのをクリスチャンは待っています。神の完全な支配が実現するのを、人の罪で崩壊しそうなばらばらの世界が復興するのを待っています。私たちは、そのために祈りを、つまり復興の狼煙を上げ続ける者でありたいと願います。



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