3月20日
2018年3月20日
3月20日というと、福岡では、福岡西方沖地震の日として記憶されています。2005年のことでした。それは日曜日で、ちょうど朝の礼拝の時間帯でした。子どもメッセージというのがあって、ある方が、イースターの話を紙芝居まじりでしていました。「その時、墓を塞いでいた岩がゴゴゴゴと動いて……」と話したら、グラグラと会堂が揺れました。リアルなメッセージとなりました。被害はありませんでしたが、かなり大きな揺れではありました。
当時(も)我が家は経済的に楽ではなく、子どもたちの成長につれ、困窮とまでは言えないまでも、不安な状態でありました。しかし阪神淡路大震災の揺れを京都ではありましたが受けた私たちは、福岡に引っ越してきた時、すぐに地震保険に入っていました。するとマンションの一角でタイルがほんのわずか剥がれるという「被害」があったため、この保険が利いたのでした。実に助かりました。
しかしまた、この日付は、1995年にあの地下鉄サリン事件が起きたことで忘れられない人々が多いかと思います。宗教に対する規制が以後強くなり、精神世界について関心が寄せられると共に、忌避される傾向が強まった契機ともなりました。いまなお、その解答は出されていないのではないかと思います。
サリン事件のため、同じ年の1月17日に起きた阪神淡路大震災への思いが、とくに関東地方では途切れたのは事実です。災害に対しては、一時的に関心や同情が集まりますが、時とともに薄れ、何か別のことが持ち上がると人の心はそれを機にすっかり遠ざかるということがあります。東北や福島のこともそうでしょう。私たち九州の者にとっては、熊本や大分、そして朝倉などのことも、過去のこととして扱われてはいけないことだと強く思っていますが、果たしてどうでしょうか。
明日、熊本にまた仲間がカフェを開きに行きます。私は今回は行けません。春のぬくもりを分かち合い、未来を見つめていくきっかけとなるひとときが与えられますように。