復 興
2018年3月11日
東日本大震災から7年。その年に、教会誌の原稿として記した説教用の原稿を、長くなりますが公開します。
復 興
エズラ10:1-5 (新改訳)
エズラが神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈って告白しているとき、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まって来て、民は激しく涙を流して泣いた。そのとき、エラムの子孫のひとりエヒエルの子シェカヌヤが、エズラに答えて言った。「私たちは、私たちの神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりました。しかし、このことについては、イスラエルに、今なお望みがあります。今、私たちは、私たちの神に契約を結び、主の勧告と、私たちの神の命令を恐れる人々の勧告に従って、これらの妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行ないましょう。立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」そこで、エズラは立ち上がり、祭司や、レビ人や、全イスラエルのつかさたちに、この提案を実行するように誓わせたので、彼らは誓った。
マルコ16:8 (新改訳)
女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
1 震災からの復興
誰もいない山の中で木が倒れても、音はしないといいます。かつての災害も、記録がなければ実態は分かりません。ここに、近代世界を大きく変えた津波の記録があります。「リスボン津波」と呼ばれるものです。時は一七五五年十一月一日。いわゆる万聖節の日でした。大航海時代、世界の覇者としてスペインと並び称されたポルトガルの首都リスボンが、地震と津波により壊滅したのです。国王ジョゼ一世が復興に努めました。世界初の耐震構造の建築がここに生み出されたとも言われています。しかし、ポルトガルは、北海道よりいくらか広い程度の狭い国であり、国内資源に乏しかったなどの事情で、この震災以後産業は十分な復興を果たすことはできませんでした。
精神的なダメージもありました。世界宣教を志したほどの信仰の国が、カトリックの大きな祭のその日に震災を受け、廃墟となったのです。神学者たちもこのことをどう説明するか、苦慮したといいます。「神よ、なぜ?」という問いが繰り返されました。
二〇一一年三月十一日は、私にとり、一九九五年一月十七日についで、忘れられない日となりました。キリスト者は「なぜ」と問うかもしれません。しかし日本ではとにかく今「なぜ」と問うよりも、むしろ実際的な「復興」が望まれています。元通りになる「復元」ではなく、元のような活気を取り戻す「復興」を目指して、人々は努力しています。
聖書に描かれたイスラエル民族にも、復興の経験があります。イスラエルは、大きく二度の滅亡、バビロン捕囚とユダヤ戦争を経験しました。神がこの民を救うという言葉を精神的支柱にしてきた民族においては、これはまさに絶望でもありました。リスボンの壊滅を受けて欧州のキリスト者の誰もが戸惑ったのと同様、神の約束の言葉が雲散解消したかのように見える出来事でした。
しかし彼らは「なぜ」と問う中で、創造主への研ぎ澄まされた感性が磨かれていくかのように、聖書を形作ることへと動かされていきます。さらに、「わが僕ダビデのゆえに」憐れみを持ち続けた神の約束は、決して消滅することはありませんでした。いろいろ問題を含むにせよ、イスラエルは一九四八年、独立国家としてよみがえります。これをイスラエルの「復活」と呼ぶ人もいます。
2 マルコの復活記事
そう。「復活」とくれば、やはりイエスの復活です。キリストの十字架と復活は、キリスト者の信仰の根幹です。それを信仰の中心に燦然と輝かせたのはパウロの功績でした。パウロの書簡が、新約聖書の中では時代的に最初とされていますが、福音書としてはマルコが第一となります。史上初めて「福音書」という形式の文書をマルコは記しました。
マルコは、イエスの復活の証言として実に不思議な書き方をしています。後のマタイやルカと異なり、マルコはこの復活についての具体的な言及を何もしていません。ぷつんと終わっているのです。ただ「恐ろしかったからである」(マルコ一六・八)と。
このマルコ伝の末尾については、古来様々に言及されています。もしかすると続きがあったのが紛失したのではないか。マルコに何か事故があって絶筆となったのではないか。想像が尽くされました。確かに、マルコ本来の復活の記事は不自然です。しかし逆に言えば、だからこそ、つまり不自然であるにも拘わらず残されていたという意味で、私は大いに聖書に信頼を寄せます。そこでこの「恐ろしかったからである」の一言を、今重く受け止めたいと思います。
マタイやルカの福音書の復活記事を知る私たちにとり、たしかにこれは「物足りない」の一言に尽きます。しかし、当時人々は現代映画のようにリアルなシーンを期待する必要はありませんでした。この「恐ろしかったからである」の一言だけでも、十分な復活証言とされ得たと私は考えます。事実単純に、復活の場面に遭遇した者は「恐ろしかった」の一言に尽きるのではないでしょうか。
復活の証人は、まず女性たちでした。当時、女性には証言者としての資格がありませんでした。にも拘わらず、亡くなった人を葬った……三日目の朝そこに行くと墓が空いていて、誰もいなかった……それどころか、神を見た者は死ぬと恐れられていた時代に、天使のような存在を見て復活を告げられた……と女性が知らせた。このときの証言「恐ろしかった」には、実にリアリティがあると私は受け止めます。人間の経験の真実が描かれていると考えます。
3 十字架なくば復活なし
今の時代は、この恐怖というものがあまり歓迎されていないように見えます。恐怖の最たるものとしての「死」は、生活感覚から切り離され、医療関係者や葬儀業者に任されるようになりました。人は恐怖を現実としない、または現実としたくない精神状態で生活しています。安全と平和があたりまえと思いこむ中で生まれ育った人々は、不条理を現実と認めることができません。
かつての弟子たちにしても、当局に狙われる師イエスを心配していました。死の危険ばかりが懸念されました。イエスが十字架の予告をしたとき、ペテロは、そんなことがあってはなりません、と叫びました。しかしイエスはこう言ったのです。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならない」(マルコ八・三一)と。イエスは確かによみがえるのだと言ったのに、ペテロにはその部分が耳に入っていませんでした。いえ、当然のことながら、そんなことは信じられなかったのです。
クリスチャンはこの復活を信じていると言います。復活というからには、一度死という事実を経ていることを忘れてはいけません。十字架という最高に惨い死を迎えたのでなければ、罪は贖われることができず、そして復活が起こることはありません。
復活は、十字架あってこその復活。また、復活の約束あってこその十字架。この相互関係を私たちは携えておきましょう。それは自分の力ではなし得ないこと。神の力。私たちは、神の前にひれ伏さなければなりません。神の足下にくちづけをしなければなりません。実に「礼拝する」という意味のギリシア語は、神の足もとにひざまずき、口づけをもって服従を示すという言葉のイメージで聞こえる言葉だったと言われます。
復活や復興には、死や滅びが先立っています。辛いけれど、認めたくもない心理になるけれど、それを経てこそ、力ある神の前に出るよう、要請されていると言えましょう。
4 イスラエルの十字架
旧約のイスラエルの民の「復興」はどうだったでしょうか。
バビロン捕囚の際、王国は滅亡し、精神的支柱であった神殿は破壊され、知識人を中心とするおもだった人々が遠くバビロンに連行され抑留され、そのようにしていわば国が壊滅したところから、奇蹟的に再び国が再建されたのでした。
ユダヤ人にとり、バビロン捕囚は悲惨でしたが、それで終わりはしませんでした。ここが選民たる所以でしょうか。戦争で敗れた国においては、その信仰する神も滅びるというのが古代の常識でしたが、この民族は違いました。自分たちの神は、戦争で勝たせるためだけの神ではない、家内安全のような神ではない、と気づきました。全世界、全宇宙を創造し支配している神だったのです。選民イスラエル民族がどうしてこのように苦しむのか、その意味を問うたことでしょう。旧約聖書の編集はこうして進んだと言われています。
他方、諸行無常とでも言いましょうか、捕囚を敢行した大帝国は空しく滅びてしまいます。世界最強のように豪語したバビロンの栄光も、その後ペルシア帝国に呑まれます。ペルシアのクロス王は、ユダヤ人たちに祖国帰還を許可します。どんなに喜ばしく思えたことでしょう。ただ、苦労の末にも、実に貧弱な神殿しか築くことができませんでした。しかもまだ城壁は整っていません。町たるもの、城壁が築かれて初めて一つの町としての形になるというのに。
そのまま数十年の時が流れ、ネヘミヤが登場します。アルタシャスタ王の献酌官たる地位にあったネヘミヤが、祖国イスラエルについての悩みを王に打ち明けたところ、帰還が許されるということになります。願いは言ってみるものです。彼は帰還メンバーのリーダーとして、エルサレムの城壁と門を建築します。このとき、現地には反対運動もありましたが、ネヘミヤは、半ば強引に城壁工事を続け、七週間半でさしあたり完成します。ネヘミヤはエルサレムへの計画移住を遂行し、神殿行事と律法の整備とを急ぎました。
このとき、先に帰還していた祭司エズラが活躍します。神殿での祭儀信仰から、律法中心のいわば精神的信仰への移行が、ここに始まります。昔日のような立派な神殿はありませんが、捕囚を通じて、神の御心を問う問いかけがなされ、祈りが捧げられました。
捕囚という国家的危機、いえ、国家の滅亡という絶望的な事態の中で、むしろ精神的に、霊的に、イスラエル民族は強くなろうとしていきます。かつて殺戮と瓦礫を目の当たりにし、自分を誇るためにあったような神殿が破壊されました。これはイスラエルの十字架でした。いわば国が死んだのです。この状態から、イスラエルは復興します。物量的には貧弱でしたが、霊の点では、むしろかつて以上のものになったと言えるのではないでしょうか。
5 ネヘミヤによる再契約
城壁と門が整備されたエルサレムは、ようやく都市として機能し始めます。
しかし、復興はまだ道半ばです。精神的な復興を果たさなければなりません。祭司エズラが律法の書を朗読します。指導者たちには律法の学びが義務とされ、早速定められた仮庵祭を行います。エズラが民衆の総意として、懺悔あるいは悔改めの祈りを捧げます。
この後、重要なひとつの政策が実行されました。
それは「私たちの娘をこの地の民たちに嫁がせず、また、彼らの娘を私たちの息子にめとらない」(ネヘミヤ一〇・三〇)との誓約です。民はモーセの書の朗読を聞くと、「混血の者をみな、イスラエルから取り分けた」(一三・三、以下十三章より)のでしたが、現地の女をめとったユダヤ人がいることに気づいたネヘミヤは、「彼らを詰問してのろい、そのうちの数人を打ち、その毛を引き抜き、彼らを神にかけて誓わせて」先の誓いの言葉を繰り返します。過激です。そのとき、ソロモンの例が挙げられました。イスラエル最盛期の王ソロモンですが、侍らせた外国の女たちにより持ち込まれた異国の神を、自分もまた拝する罪を犯すに至ったのです。これは結局国家を滅ぼす契機となったと認識したネヘミヤは、外国の女をめとることは「不信の罪」であり「大きな悪」だと断罪します。そして神に対して「すべての異教的なものから彼らをきよめ」たと祈り報告します。
この同じ過程をエズラ記も語ります。民も涙を流して悔改めます。シェカヌヤという人物の提案がありました。現地の女性と結婚したことについて、それは不信の罪であったが、まだ望みがある、悔い改めてやり直すことができる、とするのです。再び神と契約を結び、外国人の妻とその血を引く子を追い出すようにしよう、と。
現代的な観点からは、横暴で惨い仕打ちであるかもしれません。士師エフタの娘の場合もそうですが、私たちは、現在の習慣や社会的事情からして不都合な聖書の記事から、どうしても目を背けようとしがちです。しかしながら、たとえば女性の参政権がアメリカで一般化してからまだ百年と経っていないなど、少し以前の常識すら現在のそれと違います。また誤解を恐れず言えば、現代の規定も今後修正されないという保証はありません。その点、旧約時代からの律法規定や習慣の中の問題点を超克しようとしたイエスの働きは画期的でした。律法規定を新たな視点で捉え、弱者や子ども、そして女性を一人格として認め、社会的に弾かれ虐げられていた人々を大切に扱ったのです。人類は二千年の歴史の中で、このイエスのしたことを追いかけ続けてきただけなのかもしれません。その意味で人類は、イエスの後に懸命に従おうとしてきたと見ることもできるでしょう。
ですから、このエズラたちが実行した措置でも、ここで何の歩みが一歩進められたのか、見つめる価値があると思うのです。確認します。女たちは、異邦人であるがために追い出されたのではありません。異教の要素を含んでいたためです。異邦人であっても、ルツのように主を自分の神と信じた女は受け容れられ、むしろイエスの家系に含まれる祝福にも与っていたのですから。
人の情けがどうであれ、人の経済生活の基盤がどうであれ、断固としてわたしに帰れ。今わたしと再び契約を結ぼう。ネヘミヤやエズラを通して、神がこのときイスラエルの民にそう迫った、と見ては如何でしょうか。エルサレムが復興するという出来事は、城壁の建築以上に、悔い改めて神を信ぜよ、という一点に基づいていたとは理解できないでしょうか。ただこの神にのみすがれ、それがなければ、イスラエルの復興はありえない、と。
6 ガリラヤへ戻れ
再びマルコの福音書の十六章に戻ります。
復活の朝、女性たちが墓に着いたとき、石がころがしてあったのを見ました。人がこじ開けたのではなく、すでに神の側で事がなされていたのです。墓の中に入るというのは、恐ろしさが伴うものだったことでしょう。だがもっと驚くことがありました。「真っ白な長い衣をまとった青年」が、右側に座っていました。右は神の側に立つものの位置です。女たちの驚きを見て青年はまず、「驚いてはいけません」と告げます。天使が登場するときの常套句です。青年は、イエスがよみがえったことを告げます。もう墓の中になどいない、と。もはや死んだ者の中にイエスを探してはならないのです。
女たちはひとつのことを命じられました。弟子たち就中ペテロに伝えよ、と。第一発見は女性たちですが、結局のところ弟子たちを動かすためには、ペテロが用いられます。その内容は、「イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」との知らせでした。
ガリラヤに戻れ、という命令。ルカは、ガリラヤからエルサレム、異邦人世界へと一方通行を意図していますので、再びガリラヤに戻る点を描きはしませんでした。しかし他の三つの福音書はすべてガリラヤに戻ることを記しています。おそらく復活のイエスに会うためには、ガリラヤという場所に何か意味があったのでしょう。
特にマルコは、イエスの地上生涯を重く見ている描き方をしています。復活の後にガリラヤに弟子たちを引き戻すのは、弟子たちを、そしてこの福音書の物語の聞き手または読者―そう、私たち―を、再びガリラヤのスタートに戻ってみよ、と案内しているように私には聞こえます。イエスの歩みに、今後のあなたの歩みが重なるように、との祈りを感じます。ガリラヤに戻れ。地上を歩まれたあのイエスに出会い、イエスに従ってこれから歩んで生きるように。イエスとは誰かという問いに、最初福音書を読んだときにはうまく答えられなかったかもしれないけれども、今ならば分かるはずだ、イエスがあなたにとってどんなお方であるのか、という答えが。マルコ伝で弟子たちは、イエスをちっとも理解しないぼんくらに描かれているのですが、新たに生まれてあなたが今よりイエスと共に歩むならば、これまでその深い意味に気づかなかった弟子たち―私たち―も、十字架から復活に至る真理の道を信じ、イエスに従えるはずだ、と励まされているように見えます。
私たちにとり、ガリラヤとは、私たちの信仰の旅が始まった場所です。聖書は、復活の記事から私たちをガリラヤに連れ戻します。そこからイエスと歩む旅が始まります。そこにはイエスの愛がありました。イエスが私を見つめる眼差しがありました。
7 今ここから再び
復活など信じられない、という考えがあります。証明してみよ、と迫る人がいます。でももし、復活がメカニズムとして説明されたとしたら、誰も信じることはないでしょう。私たちは、科学的知識について、信じるという表現をとりません。そういう事実は、私の体験とはなりません。しかし、十字架と復活の記事において、私たちはイエスと出会う経験をします。本の中で偉人と出会い、生き方を変えられるということが起こったとき、その出会いを誰も否定することはできないでしょう。私たちは、何よりもこのイエスに「出会った」という確かな体験をもっています。だから、キリスト者なのです。
それでも、キリスト者でない人々との交わりにどっぷりと浸かるとき、いつの間にか流されてしまい、神から離れてしまうことがあるかもしれません。ソロモンは生ぬるい信仰に霊が鈍らされてゆき、異教の神々を神殿に招くことになりました。
それでネヘミヤとエズラは、信仰に一本の境界線を描くため、異邦人の女との結婚を破棄させました。このことを、とんでもない人権無視だ、などと私たちは批判できるでしょうか。今自分が異教の神々を礼拝しているかもしれないという事実を忘れていないでしょうか。異教の習慣にどっぷり浸かりながら、神ならぬものを生活の中に招き入れ、さらには神ならぬ偶像に仕えている毎日でないと言い切れるでしょうか。あるいは富に、マモンに仕えていないでしょうか。いやいや、生活のためだから、日本では行事の一部だから、仕方のないことだよ、と自分で自分を勝手に許してしまってはいないでしょうか。
ネヘミヤによる粛正は、厳しいものでした。しかしその粛正がなければ、ユダヤ教の復興はありませんでした。ということは、メシヤ待望も起こらなかったということであり、キリストが降誕する背景が成立しなかったということになりかねません。
自分の甘さを自分が許すようであってはいけません。赦す権威があるのは、ただ神おひとりです。御子キリストの惨すぎるあのいけにえの死を通して、私たちの甘さもまた、買い取られたのです。
むしろ、今ここからやり直すことができる、ネヘミヤのあの冷たい命令を、そのように捉えては如何でしょう。改めて、神との契約を結びなさい、いわば再契約しなさい、と。ここから、やり直しなさい、遅くはない、やり直すことができるのだから。
この契約は、その後救い主イエスに至り、十字架と復活の福音という形で完全な形で更新されました。その使命を受けて描きました。復活の記事は、決してセンセーショナルには描きませんでした。映画で、直接どぎついシーンを描かずに観客の想像の中で場面を進展する手法があります。マルコはそのように、復活そのものをリアルに描くことをせず、恐ろしさを残しつつ、誘いの言葉に呼びかけられたと感じた者がスタートに戻り、永遠の主なるイエスとの出会いの体験へと読者を誘うようにしたのではないか、と私は見ています。「ガリラヤへ戻れ」の声に従えば、そこでイエスに会えるでしょう。イエスが誰だか分かるでしょう。
聖書はまた、すでに信仰をもった人にも問いかけています。「あなたのガリラヤは、どこですか」と。最初にイエスに出会い、招かれたのはどこですか。私たちも、ペテロと共に戻りましょう。失敗だらけであっても、叱られてばかりであっても、あのイエスとの生き生きとした交わりがあったあのとき、あの場所に戻ることができるのです。確かに契約を結んだ、あの祈りの祭壇に立ち帰るのです。
崩れた祭壇や城壁を再興したバビロンからの帰還者たちの営みは、私たちのなすべき課題でもあります。壊れた祭壇、祈りの土台を修復しましょう。神の武具を身につけて、城壁を築きましょう。神を畏れ、ガリラヤへ向かいましょう。そうしてマルコに従って、福音書の冒頭に戻ったとき、私たちはそこにこう書かれてあるのを見ます。「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(マルコ一・一)と。どんな惨めな思いに包まれていたとしても、復活のイエスに会うためにガリラヤに戻ったとき、そこからまた福音は始まるのです。いつでもそこから、立ち直ることができるのです。荒廃した魂の復興を願いましょう。復活のイエスに会って、復興を果たしましょう。
ネヘミヤが苦労して復興したエルサレムの神殿でしたが、イエスの時代の後、このマルコの福音書が書かれて間もなく、再びローマ軍の手により壊滅させられてしまいました。それは永遠の神殿ではなかったのです。しかし、イエスの福音は、やがて異邦人世界に伝えられ、世界全体にこの福音が行き届きます。幾度エルサレムが滅びようとも、復活の信仰は続きます。滅んだかのように見えても、いのちのことばは永遠です。何度駄目になったように見えても、また復興します。イエスは、永遠に壊れることも、滅びることもない祭壇です。その献げもの、いけにえの小羊の贖いの業はただ一度でしたが、その効果は消滅することがありません。そうして永遠のエルサレムが備えられるのです。
聖書の言葉を信じるというのは、そういうことであると、私は受け止めています。
どうぞ、復活を信じる魂が復興するごとく、瓦解した港町が、放射能に生気をなくした町が、必ずや復興するのだという希望とともに、再び建て上げられていくことができますように。祈りつつ見守る私たちが、その働きを妨げることが、できるかぎり、ありませんように。
虹が雲の中にあるとき、神はそれを見て、「永遠の契約を思い起こす、虹はその契約のしるしである」と主は言われました。私たちは、十字架という虹を見ています。しかし、十字架を今見ていない人にも、空の虹なら見えます。東北に虹を架けたいと願っている人々の中に、復興を信じる人々の中に、希望が与えられますように、祈ります。