Iさんのこと
2018年3月2日
大学で最初に私を可愛がってくれた先輩がいました。彼はプラトンを読んでいました。すでに博士課程でしたが、出世する気持ちはなく、ひたすらギリシア語で原典を読んでいました。
青森から京都に来て、また体の一部にわずかですが不自由さを覚えるところもあり、孤独な生活をしているようにも見えましたが、私もそれほど社交的な方ではなく、ある理由から生真面目にカントを読もうとしていましたので、彼の哲学に対する姿勢には共感するところもありました。当時私はまだ聖書と出会っていませんでしたから、時々彼のところに泊まりに行き、夜を徹して哲学の話をすることもありました。日本酒でしたら一升くらい空けて、何でもオープンに語り合ったものでした。
私が、まるで彼と同じ道を歩むのを懸念したのかもしれません。Iさんは言いました。――これからの時代、哲学を研究していくためには、要領よく情報を得て素早くまとまった考えを提出していかないといけない。僕みたいに、一から腰を据えてプラトンの原典をじっくり読んで考えていく、というようなスタイルでは何の仕事もしたことにならない。名の知れた論文をいくつか読んで、その議論をまとめて自分の考えを乗せ、形にしていくんだ。情報化の時代だからね。
博士課程に残れるだけ残った後、博士論文を提出することもなく、Iさんは故郷青森に帰りました。その後、地元で学習塾を開き、子どもたちに勉強を教えていましたが、手紙をやりとりする中で、あちらの新聞に投書をしたことなどが知らされました。教育行政の誤りを指摘したら、権力をもつ反対者がえらく食ってかかったようでしたが、彼は言論の上で怯むことはありませんでした。
私もやがて大学院に残り、その後聖書と教会の世界に入りました。そのときものすごい嵐のような出来事に苛まれ、必死にもがいていたことがあったので、彼との手紙はしばらく途絶えていました。私が落ち着いたころまた手紙を送ったら、しばらくして彼の父親から手紙が届きました。脳溢血のようなもので、突然亡くなった、と。伴侶も恋人もひとりも得ることなく、独りで生きたIさんは、ギリシアで言う人生の盛りを前にして、帰らぬ人となりました。
哲学書ではなく、聖書を目の前に置く私となりましたが、いま私は、聖書の原典と差し向かいになり腰を据えてじっくり読んで考えていく、ということをしているとは言えません。むしろ要領よく情報を得て素早くまとまった考えを出してばかりいるほうでありましょう。Iさんの忠告を、ある意味で守っているのかもしれませんが、彼の不器用な生き方と、時に自虐的に笑みを浮かべる姿が、いまも現れるような気がします。