その入試問題には解がなかったが

2018年2月14日

受験期です。塾や予備校は、模範解答の速報を出します。あれは学校側からの提供があるのではないかとお思いの方もいますが、すべて業者側の作成です。試験開始後一定時間後に、学校は問題を提供します。問題だけです。それを、数人の職員が解きにかかります。そしていち早く解答を公開することで、能力のアピールをするということになります。そのため、解答に誤りが含まれる可能性もあります。いえ、学校側の解答ですら、誤りがあるということが、今年は幾度か報道されました。そのため、模範解答を公開すべきだ、という声が挙がっています。
 
ある私立大学の化学の入試問題でも、いくつかの予備校関係が模範解答の速報を出しました。その中でひとつの業者の出した解答が目を惹きました。「解無し」というのです。
 
つまり、問題に欠陥があったという指摘です。これは勇気の要ることです。基本的に入試問題は当然解があることを前提している訳で、大学側でも権威を以てそれを入試問題として世に出すのです。これに対して間違っていますと突きつけるのは、よほどの知識と確信がなければできることではありません。しかも、ごく短時間に。
 
結果、大学側は、一週間ほど経ってからですが、問題の条件の誤りを認め、解無しが真実であることを認めました。「真実は一つ」とは名探偵コナンの決め文句ですが、その一つを確信し、如何なる権威にもたじろがず、主張を崩さなかったその唯一の業者の慧眼でありました。
 
もちろん、唯一抵抗した主張が、誤っていることもあるでしょう。世では、えてしてそのように、違う意見が真実を言い張っても、そのほうが間違っているということのほうが多いことになります。しかし中には、その一つの声が認められて、新しい世の中が拓かれていくことがあることを、歴史は証明しています。新しい地平が見えるようになり、新しいパラダイムが構築されていくのです。
 
新しい考え方というのは、それが唯一の真実であるというわけではありません。またいずれ歴史の中で検討され、また淘汰され、その次の考え方が現れてくることでしょう。しかし、アリストテレスが重いものほど速く落ちると言ったときにはそれが真理でありましたし、ガリレイが落下速度は変わらないと示したときにもそれが真理となりました。プトレマイオスの天動説の説明もその時には真理でありましたし、ケプラーのより簡易な説明に基づく地動説も真理となりました。ニュートンが体系化した物理世界や、それに基づくカントの時空の理解もその時には真理でありましたし、アインシュタインがそれを覆して新たな宇宙の原理が提示された時にもそれが真理となりました。
 
聖書の理解もまたそうでしょう。人間が、如何に汲めども尽きぬものがそこにはあります。その時代に脚光を浴びた解釈にはやがて権威がつくものですが、その中で個人的に確信を以て主張することが、思慮の足りない誤解に基づくものである場合も多々あるでしょうし、他方神とその人との関係の中で確かな真実である場合もあるでしょう。聖書は化学の分子構造とは違いますから、唯一の解があるとは言えないでしょう。かと言って、解無しであるかどうかも分かりません。よく探究された学説には敬服します。そのために見出される光も必ずあります。他方、一人ひとりが神と出会って与えられた光には、どんな組織的権威も学説にも入り込めない、いのちの輝きが現にあるのも事実でしょう。
 
聖書の解は、無いのではなくて、無数にあるのだと思うのです。しかしまた悲しいかな不完全な人間の言語では、一面ではひとつである、という言い方もしなければなりません。見出すためには、狭い門を探す必要があるかもしれませんが、イエス・キリストに出会い、イエス・キリストという道を行けば、救いの大路に、従う者たちは合流していくのだと思うのです。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります