山
2018年2月8日
特に冬山は危険を伴います。私の浪人時代に、京大に入学していた友人がいました。山岳部でした。彼は別のグループでしたが、遭難事故があり、先輩が命を落としました。私はその時、馬鹿なことを手紙に書きました。
ライプニッツによると、この現実の世界はすべてのありうる世界の中で、最善のものであるともいうから、哀しみはあるが、何か希望をもつことができるのではないか、と。
もちろん、彼からは抗議が来ました。そうだろうか、と。
言われて、その通りだと思いました。傍からこんな言葉を投げかけるなど、私はなんと人の心が分からないものだと思い知らされました。私としては、彼を慰めるつもりではあったのです。しかし、知っている人の不幸の前でそんなふうな考えを微塵にも思わせるような言動をとることは、やはりありえないことだったと教えられました。
その後、私は信仰に入ります。
信仰に入ったら、ひとの心を少しは考えるようになりました。けれども、今もなお、つい同じことをやらかしそうになります。いえ、きっとやらかしています。他人の出来事についてはやたら信仰が強く、自分の出来事については信仰が弱くなる、それがひとの常でしょうか。大丈夫ですよ、などと気楽に他人には声をかけますが、共に悲しむことが、まるで信仰が弱いからであるかのような錯覚もあるわけです。いつも「ハレルヤ」と喜んでいるのが教会であるかのように考えていると、とんでもないことになりかねません。
自分のことについても信仰は強いですよ、と誇る人も、見ないわけではありませんが、誰もが信仰が強いはずがありません。それに、強そうに見える人も、むしろ、空元気ならぬ空信仰のようなものであるかもしれません。そもそもひとの信仰を云々するということ自体が望ましからぬことでありましょうし、私たちは互いに励まし合ったり支え合ったりするために共に置かれているとしていきたいように思います。
なお、私が京都に行ってから、彼は私を毎年秋に山に誘ってくれました。妙高高原のヒュッテで、雪の降る前の10月の一週間を過ごすことを何度か経験しました。もちろん雪庇を踏み抜くような危険とは無縁の呑気な雰囲気の中で、尾根を縦走する楽しみなどを教えてもらえました。また、ハンモックで読書する贅沢や、薪割り生活と、ランプの下でラジオの気象情報から天気図をつくる作業も。シュラフでの雑魚寝も、楽しい経験でした。