修学旅行
2018年1月21日
福岡の中学校では、修学旅行に、関西地方に行く学校が比較的多いようです。そもそも「修学」であるのにどうして道半ば、二年生で行くのだろうと疑問に思うのですが、それはスルーすることにしましょう。近年は貧困問題も絡んで教諭の方々のご苦労が偲ばれます。旅行費と予約の関係からか、極寒の時季が多く、安全と健康について心配することがいっぱいあることでしょう。
私は15年間くらい、京都で暮らしていました。京都で、大きな二つのプレゼントを与えられました。ひとつはキリスト信仰、もうひとつは、あばら骨です。いえ、妻です。
生活力などまるでない者が、ひとりで下宿をしました。大学紹介の、格安の下宿でした。大学での昼食のほかは、ほぼすべて自炊生活でした。1980年代とはいえ、一日の食費が400円平均という計画を立て、月ごとに親元へ会計報告をしていました。奨学金を受けつつアルバイトには恵まれ、不自由な思いはしませんでした。大学院受験にはほろ苦い思い出がありますが、結局その仕打ちの故に、二つの大切なものが与えられることとなりました。
阪神淡路大震災の一年後、福岡に戻りました。それまで京都の文化の中を生き、信仰を育まれ続けました。妻の実家は京都府北部で、毎年夏には車で往復します。昨年は、日曜日がその期間に挟まり、久しぶりに京都の母教会(正確に言うとその牧師)の礼拝に加わり、息子にはわずかですが京都見物を経験させました。小さい頃にも巡っているのですが、さすがに覚えていませんでした。
その中学生の息子が今年、修学旅行で京都を一日巡ります。金銀は私たちにはありませんが、昨年は息子のために、金閣と銀閣を訪れました。だからなのか、だのになのか、彼のグループは金閣と銀閣をコースに選びました。タクシーは使いますが、自分たちで動きます。妻は、心細いだろうと思いやって、京都の旅行マップを購入して見せておりました。いろいろなタイプのものがあり、私個人は、修学旅行というテーマで作られている新しいタイプの関西案内がいいと思ったのですが、妻は、一般の旅行ムックがいいと言いました。これは、どう歩けばよいか、というガイドが充実しており、臨場感あふれるものでした。
私の下宿していたアパートは木造で、一階でした。京の底冷えにより、冬は氷の上に寝ているようでした。近所のネコが自由に出入りしていました。このネコ話は、またいずれどこかでお伝え致しましょう。中学生たちは、ぬくぬくとしたホテルや旅館で、夜を過ごすことができます。浴室付きの部屋でしたが、浴室に行くためには外気に当たらなければならなかったあの冬の日々も、いまの自分を形成するのに役立っているのだろうと懐かしく思います。