政治家になるには
2018年1月19日
「政治家になるには、どうすればいいですか」
小学四年生の男の子が質問しました。確かに、政治家になってもおかしくないような子だとは思いました。深い思いがあるのか、思いつきで尋ねたのか、判断つきかねましたが、私は間髪入れずに答えました。
「ひとが、幸せになるにはどうすればよいかを考えながら、いろいろな勉強をすることだね。それから、誰か困った人が目立たないところに実はいる、それに気づくような人になること」
ふと浮かんだ言葉ではありましたが、ほんとうに即答だったので、きっとふだん私が思っていることが出たのだろうと思います。子どもに回答するというのは、よく気をつけなければなりません。内容も大事ですが、その時の態度や真摯さを、子どもは感じ取ります。自分の相談に真面目に向き合い考えてくれたのかどうか。大人が、確信をもって語っているのかどうか。これを敏感に感じ取ります。それを承知していますので、私はその点で揺るぎがないように、答えたつもりでした。
その子は、私の告げた二つ目の条件が自分は鈍い、という内容のことを、これまたすぐに答えました。私は、これからそういうことに気づくようになりたい、と思いながら歩き始めればよいのだ、とアドバイスしました。
私は――多分にいまもそうなのですが――、ひとの気持ちを理解することができない子でした。だから、その四年生の子が、自分には苦手だ、とすぐさま口にできたということに、驚きを感じました。そのように言えるということは、これまでにそのことについて考えたことがあるということであり、自分を客観的に見る目を有っているということを意味するからです。そして、ひとの気持ちを理解する心を、実はもっているからこそ、自分はそれを「もっていない」と言明できるのではないでしょうか。自分にはそれがない、と言えるということは、それについて一定の認識があるからにほかなりません。
「政治家になるには」幸せとは何かを考え学ぶこと、そして苦しむひとの存在に気づく心を育むこと。模範解答ではなかったかもしれませんが、確信を以てぶつけたその言葉から何かを、その子が感じ取り、何かが残ってくれたらいいな、と願っています。