阪神大震災記録
2018年1月17日
この日にはきっと開く、我が家の宝。
神戸は私たちが結婚する前によく行った街でした。大好きでした。震災から一年経ったころ、私たちは京都を離れ、福岡に向かうことを決めました。そこでやっと神戸を再び訪れる気持ちになり、その時に買ったものでもありました。三宮そごうは半分近く使えず、満身創痍の中で営業していました。子どものために、私たちにとっては高価なオモチャを買いました。少しでも、神戸にお金がまわるなら、と思って。
まだ名称は「阪神大震災」でした。これらの記録はその名前で出ています。最初は「兵庫県南部地震」でした。2月に「阪神・淡路大震災」の名称が使われ始めました。
著作権の問題がありますが、少しだけお見せさせてください。まず1月18日、翌日の夕刊です。この時点で死者数(不明数を含む)を2800名と数えています。これは、東日本大震災のときに3月13日付新聞(時間的に同じくらい経過)1700名としているのと比べると(もちろん津波によるものは不確定要素が多すぎるが)、迅速な調べが進んでいるように見えます。
そして、1月24日の神戸新聞の広告です。地震から1週間、つまり地震発生後初めて編集された週刊誌の広告ですが、この週刊誌は、「もし首都圏なら」という触れ込みで延々と東京大地震のシミュレーション記事を特集し、首相批判を展開しています。題して「生存マニュアル大研究」ですと。私はこの広告を見たときの気持を忘れません。東京の冷たさ、あるいは金儲け主義とでも言いますか、なんとも言葉に出せない憤りを覚えました。
倒れた教会の写真。カトリック教会ですが、こうしたところには、プロテスタント教会関係からも救出や物資の運搬に出て行き、「とおきくにや」など賛美を歌い、信徒でない人も感動させたという記録があります。
写真集の内側にある呼びかけの「神戸よ」。これがぐっときます。それしか言えないのです。
祈りつつ。
なお、震災時機能を失った神戸新聞社でしたが、京都新聞社と提携を結んでおり、災害時には互いに援助して発行することになっていました。そのために、報道は続けられたのです。