阪神・淡路大震災から23年
2018年1月17日
今年もまたこの日が来ました。頭の中に昨日のことのように思い浮かべることのできるあの風景から23年が経ちました。阪神淡路大震災。それは1995年1月17日でした。
もうお若い方にはその体験がないわけですが、23年前のことですので、映像や記録に出会う機会はあるかと思います。コンパクトに5分ほどにまとめられたものをリンクしておきました。被災者の生活風景は殆どここには描かれていませんから、また関心をもって、お時間のある時に見つけてご覧になることを願っています。
私は当時の、神戸新聞の写真集と新聞記録を、毎年この時に開きます。いまは動画で多くの資料を見ることができます。こちらはNHKの放送した90分にわたる番組です。生々しすぎていまもなお見ていて辛くなります。
京都にいたため、震度5を受けました。私は初期微動で目覚めました。主要動は下から突き上げました。福岡で2005年に、福岡西方沖地震も経験しましたが、それより縦揺れの恐ろしさは、いまなお体が忘れません。子どもたちを庇うなか、本が降った程度で済んでよかったのですが、テレビが落ちていたら死んでいたかと思います。以後、家具を留めたり地震保険に入るなどしましたが、それが福岡の地震のときに役立ちました。
当時子育てを始めていた私たち夫婦は、わずかではありましたが、赤ちゃんのオムツ代になれば、と募金に応じました。私は現場へは行けませんでしたが、仲間たちが京都から、歩くように現地に入り活動するのを支援していました。そのひとつの姿が『神さまが司令官』という本となって、「キリスト教神戸宣教協力会・救援対策本部」の名で報告書として出ています。
聖歌に「とおきくにや」という、関東大震災の時にうまれた賛美歌が掲載されていました。その後改訂のときに削られてしまいました。もったいないことだとがっかりしました。現場でもよく歌われたそうですし、私は京都を去るとき、京都の教会に、これをモチーフとした写真を飾って置いてきました。「揺れ動く地に立ちて なお十字架は 輝けり」と結ぶこの賛美は、掲載される歌集が過去のものとなったにも拘わらず、東日本大震災のときにも、歌われました。先週の「モリユリのこころのメロデイ」というラジオ番組(インターネットから聞くことができます)では、森祐理さんの美しい声での、心震える「とおきくにや」を聴きました。震災で犠牲となった弟さんへの思いがこめられていたに違いありません。
いくら言葉にしようとしても、伝えきれないものが、この日に迫ってきますし、また、伝えたいという気持ちばかりが渦巻きます。