ボクシング・デー

2017年12月26日

拳闘ではありません。「箱に入れる日」です。イギリス(関係諸国)の伝統で、貧しい人々のために教会が寄付を募った日と言われています。あるいは、クリスマスに使用人として仕事に忙しかった人たちのための休日を翌日に設けた意味だという説もあります。
 
そういうわけで、12月26日のボクシング・デーは、立派なキリスト教由来の休日です。但し、現在では、これは年に一度の大バーゲンの売り出し日なのだとか。
 
寄付集めの説をとると、これは日本の「歳末助け合い」に通じるといえます。クリスマスの代休説をとると、まるで、牧師の月曜日のようなものなのかしら。安息日に、報酬を得る労働をすることになる牧師の宿命を感じます。いえ、どう理由をつけようと、それはそうなのです。
 
ここまでは、待降節・アドヴェントでした。ここからが、クリスマス・シーズンではないでしょうか。少なくともクリスマス休暇が続き、年を改め1月6日までは、クリスマス・ツリーを見上げながら、救い主の誕生を繰り返し喜び合う時でいたいものです。
 
さっさとツリーを片づけて、門松を飾るような教会は、周囲の目を気にしすぎるか、それともクリスマスをイベントと位置づけているかのようにも見えます。尤も、クリスマス自体を根拠がないからとこの時期にしないグループもあるそうですが……。
 
しかし中には、華やかなクリスマスの時季が早く過ぎて、いくらかでも気を楽にしている人がいないとも限りません。めでたい・喜び・感謝と笑顔一杯ではしゃぐ人々が気に入らないとか、対照的に自分の淋しさを深くするとかいう仲間がいるかもしれません。クリスチャンが、見えないものに目を留めるというのは、そんな人の思いをも大切に扱うこと、理解することでもあるのではないか。先週の私の問いかけをお考えになった方々、ありがとうございます。引き続いて、神が小さな群れのイスラエルに目を留めたように、キリストにある者として、歩んでいけたらと願っています。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります