見えないものについては何も考えない
2017年12月7日
NHKの受信料に関する裁判の判決が下されました。法律について素人の私がとやかく言うつもりはありません。放送法ができた時代と今のメディアの状況とがずいぶん変わってきたので、法律も再検討の時期なのかしらという感覚はありますが、いろいろな立場や利害もありますから、物事を広く深く見通せる方々が検討なさればよいかと思います。
ただ、NHKだけが金を取る云々という声が、こうした場合に高まるのは必然的で、街の声という中に必ず紛れてきますので、私に見える景色をひとつ描いてみようかと思いました。
民放局はお金を徴収しないが、NHKは金を取る。確かに、そのように見えます。しかし、民放局は無料奉仕をしているわけではありません。民放局が存在するということは、スポンサーが金を出しているということです。その社員の給与から資産はもちろんのこと、番組の制作費や出演者のギャラも、すべてスポンサーからの収入です。ではスポンサーはその出費をどこから得ているのでしょう。当然、私たち消費者です。多くの放送局の放送が、多くのスポンサーにより成立しており、そのスポンサーはその費用を、いわば商品価格に上乗せして得ていることになります。消費者は、多大な額を民放局のためによけいに出しているわけです。
もちろん、これは極めて事態を単純化しているゆえに、細かく言えばいろいろあるのでしょうが、概ねこうでしょう。
NHKのように、「見える」形で徴収されると文句を言う人々ですが、民放局の構造のように「見えない」形で奪われていることには、非常に無頓着です。私が考えたいのは、そこです。
見えるものには左右されますが、見えないものには気づくこともない。このクリスマス・シーズンであっても、見えるものにばかり目を奪われていて、見えないものについては何も考えないし、気づこうともしないことがあるのではないか。聞き取れないような声を聴き、見えないものを見つめる、そんなひとときを迎えたいと思っています。