電池が切れました
2017年12月4日
リビングルームの掛け時計の電池が切れました。正確に言うと、秒針はまだぴくぴくと動いており、重力に抗って45秒のあたりから上がることができなくなったという次第です。電池が時計を機能させるだけの電力を提供できなくなってしまったのです。壁から降ろして電池を入れ換えようとしましたら、あいにく単2電池が家にありません。翌日に買ってくることにしました。
さて、ふだん生活するリビングルームです。顔を上げて、壁を見ますが、そこは、うっすら時計の型の影がついたような恰好になっている白い壁があるだけ。ああそうだった、時計が止まって外していたのだった。心に言い聞かせて目を降ろしますが、またしばらくすると、ふと壁を見上げます。長年培った習慣は、ほんとうになにげなく、同じ行動を起こしてしまいます。
犬が自分の吐いたものに戻るように
愚か者は自分の愚かさを繰り返す。(箴言26:11)
習い性となる。自分のスタンダードは、まるでそれが自分のアイデンティティであるかのように現れます。ふだんの自分そのものが、素直に現れます。そして、いつものその自分は、なかなか止めることができないのですね。
そんな自分に気づいたナイーブな心は、自己嫌悪に陥ります。陥るほうがよいかもしれません。開き直り、自分の姿に気づこうともせず正義感を貫くつもりで暴走するような人が、世の中にはあるものです。自分の醜い姿に気づき、思い悩む中で、自分の中だけだとどこまでも沈んでいきそうなところを、闇の向こうから光として呼びかけてくる声がある。クリスマスを迎える中で、その声に道を教えられ、共に歩こうと促されて導かれる、そんな経験を得られたらいいなと思います。
あなたはいま、近いところで、何を待っていますか。待てていますか。そして、遠いところで、何を待っていますか。灯火の油を、備えているでしょうか。光を掲げて、いるでしょうか。