メッセージのすきま・はさみこみ
2017年11月20日
思い立って、勝手にコーナーを立ち上げます。「メッセージのすきま」、それは、牧師のメッセージの主旨とは無関係な(?)ところから、「聖書を読むヒント」のようなものを提供しようというものです。
礼拝メッセージ、いかがお聞きになっていますか。元気をもらっていますか。日々疲れてやっとのことで教会まで来ている、という人もいるでしょうけれど、教会のメッセージのことばには、命があるので、聞き逃すのはもったいないと思います。私も、いつも、自分では気がつかない視点を与えられてうれしくなります。
前置きが長くなりました。マルコ12:24-27のメッセージを受けた私たちにとり、今日の「すきま」は「はさみこみ」。福音書にとくに見られ、とくにマルコによる福音書にはかなり高度なものが多いのですが、イスラエルの文学に特徴的なレトリック(表現法)です。
それは、同じ表現、または対比的な表現が、重要なポイントをはさんでいる、というものです。いま、Aに対比されることがa、のように表すと、文がたとえば次のように並んでいることがあります。Pが最も重要な出来事・主張であるとすると、
APa や、ABPba や、 ABCPcba
のように並ぶというのです。対比されるとした小文字のところは、最初と全く同じものである場合、たとえば ABPBA のようなこともあるし、ABPbA のようになっていることもあるという意味を含んでいます。この最後の例をマルコ13:5-23で見てみましょう。(この箇所の例については『マルコ福音書のイエス』による)
A 人に惑わされないように気をつけなさい。
B 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても……
P 自分のことに気をつけていなさい。
福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。
b 憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら……
A 偽メシアや偽預言者が現れて惑わそうとする。
あなたがたは気をつけていなさい。
Bとbは、争いという共通項において聞く・見るの対比です。Pがこの段落(ペリコーペと呼ぶことがあります)の中心として聞き取るべきところです。ここを軽く流してはいけないのです。そこにある「気をつけなさい」は、前後でほぼ同じ内容であるAにも含まれており、ここでは重要点の一つが前後を固めていることも分かります。
マルコ12:24-27でもこれを感じました。
A 思い違いをしている。
P 死者が復活する。生きている者の神。
A 大変な思い違いをしている。
メッセージのタイトル「いのち」は、いま生きている私たちにも注がれています。迷わず目を上げてまっすぐ歩き始めることが、いまここから、きっとできますから。