サタンのはたらき
2017年8月20日
こんなことを言い始めると、時代錯誤だとか、神秘主義だとか言われるかもしれません。それはしかし、分からない存在です。中には、サタンとは……と、聖書に従ったかのようにして、自慢げに知識を語る人もいますが、そんなことができるわけもありません。サタンについて明確に指摘できるのは、神のほかは無理でしょう。
サタンがはたらいている、そうとしか言えない場面を、幾度も経験してきました。もちろん、そう言う自分自身がやられていやしないか、と絶えず省みる必要はあります。しかし、サタンはたとえば、人が神を信じることを妨害し、信じている人を神から引き離そうとし、信ずるものの共同体(教会)を分裂させたり破壊させたりしようとする、その点については警戒しておく必要があるのではないでしょうか。そして私は、そういう場面を、幾度も目撃し、その嵐に動かされてきたのです。
また、同じような目に遭ってきた方とも話をしました。すると、時も場も違うけれども、似たようなはたらきがあって、教会が壊されていく出来事としては実に共通したものがあると符合することが分かりました。どういう人がサタンに襲われ、まるで信じられないような行動に出て、無邪気にかき乱していくのか、同じような現象が立ち現れるのです。
これは、経験のない人にはお分かりにならないだろうと思います。そして、経験のない人は、そんなことがあるものか、とか、自分だけはそんなことはないはずだ、とか思いがちであるだろうと予想します。たとえば、自動車事故は、自分が起こすまでは、そんなことはないだろうと思っています。いざ起こしてしまえば、たしかに言われたとおりで基本を守らなければならないということが骨身にしみて分かります。私もそういう道を通ってきました。これまで幸運にも事故を起こさなかった人は、これくらいいいだろうとか、まさか事故になることはないだろうとか、心にまさに魔が差すのです。信仰についても、似たようなところがあります。
サタンの業に対して目を覚ましているということは、必要なことでありますが、まさにゲッセマネの園で眠りこけていた弟子たちのようなありさまに、誰もが陥ってしまいます。目を覚ましていなさい、というイエスの命令は、まさに眠っている者にとっては、聞こえていないわけです。
私の経験から学ぶことには、サタンはひとに、「自分は正しい」という思いを強くもたせます。自分がしていることは正しい、という思いが絶対的になっていきます。しかしそのことは、後から振り返ったときに、初めて分かります。分かったならばまだ幸運です。神に助けられたときに、そう気づくのですから。多くの場合、そうとも気づかずに、正しい自分が神に仕えているだけの気持ちで突き進んでいます。そして、無邪気に、他人の心やキリストのからだを壊してまわります。
私も、これ以上、このことを強くは言わないことにします。自分の言っていることが正しい、と主張を激しくすればするほど、サタンの言いなりになっていることになりましょうから。正しいのは、主イエスです。イエスのことばや聖書を解釈している自分ではありません。私たちは、少しの想像力と自らが死んでいるという確信と、神の霊がはたらいていることや、イエスが生きているという信頼そういうあたりで神に目を向け、神を思い、神から聴くということを日々続けていることしかできません。
ただ、やはり繰り返します。サタンははたらいています。そして、パズルのようにそれを解くイエスの知恵と愛がたしかにあり、信頼する者に対して、神は間違いなく真実である方です。神は真実です。