愛とは……。
2017年8月16日
くどいようですが(ですからもうこの話題はここでしばらくおさめておくつもりですが)、8月15日を大切にしよう、という人がいて、それが、政府を批判しているつもりのキリスト教関係者であったりするのを見ると、悲しくなります。まんまと踊らされていることに自らお気づきでないご様子だからです。さらに、沖縄の人々の味方になって15日に平和のために祈ろう、などという声を聞くと、果たして沖縄の歴史を知る方々がこの日をどのように捉えているのか、考えたことがあるのだろうか、と訝しく思います。沖縄にとり8月は平和の記念になる要素のない月ではありませんか。日本軍が武装解除されたのは9月に入ってからだったのです。北海道にとり15日がどうであったか、も全く注目されませんし、まして犬馬以下に扱われた朝鮮出身の方や慰安婦の方々の名も数字も、またハンセン病などの方の名も、沖縄の平和の礎(いしじ)にさえないこと、同様に「英霊」や「御霊」と呼ばれている対象がどういう存在であるかもさして気にすることなく、「戦没者」の中に意識すらされない人のことを想像だにしないままに、天皇の声の記念の時に従って黙祷……あげく、15日が過ぎれば、イベントが終わったごとく、そして悲惨な事件の報道の直後にコマーシャルで華やかな商品を売り込んでは次の明るい話題に進むテレビ番組のごとく、来年のこの時季まで過去へ捨てられているとなると、言葉もありません。
15日のことですが、一般の方はよいのです。軍人の遺族の方の儀式として、どうぞ慰めの時としてください、とむしろ願うばかりです。それに心を慰められる方のことを悪く言うつもりはありません。15日は、天皇が霊を慰める日であるからです。しかし、それだけの意味しかない日です。自分では靖国(神社)に反対し、政府の姿勢や天皇制に異議を唱えていると自称するような人々が、見事にこの日を以て戦争の終わりと認めさせられているのを見ると、そして自分は平和主義者だと自認し、どんなに人を傷つけているかに気づこうともしないで、無邪気に「平和、平和」と唱えているのを見ると、悲しくて仕方がないのです。もちろん、行動に移すことのできる方々に対して、私のような者は口先だけで偉そうなことが言えるはずもなく、いつも申し訳なく思うばかりではあるのですが、それでも率直に言って、悲しいです。
えてして、強い力をもつ立場の側が、弱い立場の者の気持ちをくみとって、「よいように」なると考えて行動する。自らそれが愛だとすら考える。何かしら、弱い者のために力を尽くすことで、強さ故の負い目をやわらげるはたらきがあるのかもしれない。「してあげる」の言い方の中に、すでにその立場や心が現れている、ともいえる。
自分には愛がある、と思っていたころ、そんなふうにしか私は考えることができませんでした。しかし、自分には愛なんて微塵もないではないか、と、愛の章にさしかかったとき、殴られた思いがして、号泣したのです。
災害が各地に及び、身近なところでも、去年の熊本、今年の朝倉などと、何かしらできないかと考え、とくに熊本へは、ささやかながら語らいの場に私も関わる企画に加わらせて戴きました。結局何も自分にはできない、という思いしか抱けず、では何ができるのだろうと思っても、これといった解答は現れてきません。それでも意味はあるのだ、と自分に言い聞かせても、まだそれは自己愛的な発想に過ぎないようにも思えます。
不自由な生活環境も辛いだろうとは思います。しかしそれだけなら、私も、段ボール箱を食卓にしていたこともあるし、京の底冷えに凍えながらなんとか生きていた冬も経験しています。やっぱりそこは、精神的に応えるものが大きいのではないかという気もします。いくらボランティアをしても、している自分には、帰るところがあり、安心できる居場所があるのですから、安全なところに身を置きつつ手助けなど、恥ずかしくて言えないわけです。
私はろうの方々と出会い、それまで気づかなかったようなことに気づかせて戴くような経験をしてきました。朝どうやって起きるのか。誰かの訪問はどうやって知るのか。そんなことから始まり、子育ての苦労も、たいへんであることが想像できるようになりました。車の運転の仕方(少し前までは運転免許を取ることすらできなかったのです)や、電車の遅延のアナウンスが分からず困るということ、災害の放送がないのは命のリスクを伴っていること、エレベータに乗るのは緊張すること(非常時にはマイクしかないのです)、等々、出会わなければ全く気づかないような不条理を知る視座を与えられました。逆に、海外旅行へでもあまり心配せずふだんと同じような感覚で向かって行ける積極性について、なるほどと思わされることもありました。
してあげる、そんな発想は必要ないのです。それは障碍ではないのです。別の文化であるだけなのですから。だのに、してあげる風な感覚で対処していたら、実は何も分かってなどいないのに、社会的に多数派である者たちが自己満足のためにしている、しかもそのことにさえ気づかない、という事態が生じます。以前、黄色い点字ブロックが、利用者にとっては甚だ困るという設置の仕方をしている実例がテレビでレポートされていましたが、そのように、奇妙な思いやりが暴走することは、もっといろいろあるのだろう、私もしているのだろう、という気がしてなりません。
教会の役員も、よくよく気をつけて目を覚ましていないと、同じような過ちに陥ります。よかれと思って決めたことではあっても、実はある人にはたいへん困ったことになる、そんなことはたくさんありうることでしょう。しかし、「こうしたほうがいい」「こうすることが必要」という思い込みの魔力は絶大であるため、それは容易に「こうしなければならない」に変わります。誰かが苦しむことになど気づきもせず、自らが「これはよいこと」と思い込んだことのほうがすべての真理になってしまうことは多々あります。そうなっても依然として、強い力をもつ側は、問題に気づきもしないし、たとえ気づいても、それでも決めたことだから、などという論理を優先させてしまう様子を、私は幾度見てきたことでしょう。時に聖書の言葉を用い、またある時には世の中の理屈を用い、二枚舌で、弱い立場の人の声を殺していくという恐ろしいことを、していない、と自信をもって言えますか?
尤もらしい理由が見つかり、新たなことを決めようとするとき、そのときこそ、主イエスに倣うことを望みます。声にならない声を聞き、言おうに言えない言葉を隠し持つ人の心に気づくのは、正義や効率に目を奪われた人間には、無理な話なのです。イエスの心のすべてを理解するなどとは申しません。ただ、イエスだったらどうお考えになるか、ほんの少しでも、自分の立場を離れて、イマジンするべきことを覚えていたいと思うのです。自分というものがすでに死んでいる、そしてキリストが生きてはたらいている、そうした原理の上で、動いていくように、祈り求めるしかありません。
しかしそうであっても、人は誤ります。誤っているかもしれない、という視点は忘れたくない。誤るはずがない、これで正しい、自分は信仰している、そんな自信が、どんなに危険なものか、少なくとも歴史は教えてくれていると思います。それでもなお、自分はそんな歴史の過ちには陥らない、という自負が人には起こるから、歴史は繰り返しているのだ、とも言えるでしょうけれども。
さらにひとつだけ。沖縄の屈辱の4月28日から繁栄を始め、8月15日への切り換えにまんまと乗ってしまいつつ、自らは平和を唱える勇者のように振る舞ってきたヤマトの者として、私はどんなに沖縄の敵として歩んできたか、ほんとうにいつも胸を痛めて苦しく思っています。すみません。とことん、愛のない人間なのです。