藤井聡太四段と加藤一二三元九段
2017年6月27日
中学三年生のプロ棋士・藤井聡太四段の活躍が話題になっています。ワイドショーが将棋を熱く伝えるというのは、いつ以来だろうと思いますが、そのため、将棋のルールさえ分からない方々にも、すっかり知れ渡るようになったのは、取材の功績かもしれません。
昨日6月26日が休日だったため、私は29連勝の記録のかかった対戦の中継を、時折見ておりました。そう、例のAbemaTVの将棋チャンネルです。Amazonのスティック(受信装置)があるため、大画面で見ていました。将棋界の現在最高峰に位置する竜王戦の決勝トーナメントであるため、持ち時間がそれぞれ5時間もあり、長考可能ということで、終始見ているわけにはゆきませんでしたが、序盤は増田四段のほうが分がいいように見えました。しかし、ちょっとしたことをきっかけに、局面は急に変わります。夜になって再び見ると、形勢が完全に逆転しているのが分かりました。これはもう時間の問題だと思うと、しばらくして増田四段が投了。横で報道陣が押し寄せる中、相も変わらぬ表情と姿勢で棋士たちは感想戦を語り合うのでした。
私が将棋を知るのは、ずいぶん昔のことですから、久しぶりにまともに棋譜を見ると、戦い方がまるで違う時代になっているのに驚きます。昔は形を整えて「いざ」という感じでしたが、今回も藤井四段の桂馬のハネや飛車の扱いなど、物量作戦ではなく、展開を読み切った上での経路に関心することしきり。どこからどう切り込んでも、詰みという目的を見据えた筋を意識しているのですね。
目的を忘れて、形に気を取られるということをしない棋風。詰みへの水路にいつでも飛び込めるように溝を掘っていくような仕掛けの中で、増田四段が銀を引いたあたりが分かれ道では、という解説がありましたが、なるほどそこがかの水路へ合流する堤の一穴となったかのようにも感じられました。
加藤一二三元九段が、この藤井四段の登場を飾りました。もはや「ひふみん」のほうが通りがよいのですが、藤井四段のプロデビュー戦であり、この29連勝の最初の1勝でした。ちょうど、貴花田に敗れて横綱引退へと進んだ千代の富士のように、新しい力とぶつかって、世代が替わっていくものなのかもしれません。
藤井四段と同じく、中学生としてデビューしたひふみんは――さすがにそのデビューの頃は私は知る由もないのですが――、まさにいまの藤井四段と同じような騒がれ方で、名棋士への成長していきました。私はその詰将棋の本を確か見たことがあると思います。実戦にはありえないパズルとしての曲詰となると二上達也九段を思い出すのですが、ひふみんのはもっと実戦的だったと思います。
ひふみんは、福岡県の出身。元嘉穂郡だったと思います。大山康晴十五世名人や中原誠十六世名人という巨人がいなければ、もっとタイトルを取っていたことでしょう。順位戦のA級に留まり続けた点では引けを取らない実力者であり続けました。
ひふみんはまた、カトリック信徒としても有名で、対局の合間に讃美歌を口ずさんだり、祈ったりもするし、証詞という点では実に見ならうべき方です。将棋の記事を綴るときにも、聖書や教会の話を取り入れていたと聞いています。ローマ教皇からも勲章を受けており、教皇をたいへん尊敬している発言も度々聞きました。
さて、長々と、へぼ将棋しか経験していない者が、ちょっと子どもの時に読んだ本などのために分かることがあるという程度で、いまの将棋の話題に乗ってしまい、それに皆さまをつき合わせてしまって恐縮ですが、私なりに、いくつかの教訓めいたものを覚えたことで、考えを整理しようと綴っていたこと、いくらか感じて戴けたでしょうか。
目的から目を逸らさず、それを目指してなりふりかまわず進むのだと息巻いたパウロ。そのためなら何にだってなる、と思案しました。型にはまった伝道をしたようには見えません。時に割礼の話に吠えまくったかと思えば、テモテへは割礼を受けさせ、テトスはその必要がないと言うなど、必ずしも行動基準がひとつには決まりません。妥協せず自分のペースで説き伏せることもあれば、相手に媚びて話を切り出すような時もありました。ただ、いつも福音が拡がるために、という点では揺らぎはありませんでした。
ひふみんは確か、洗礼名がパウロ。いつでも、子どものように、神を語る棋士。戦いに明け暮れたこれまでの生涯の中で、その姿勢は変わりませんでした。いつもその水路を脇に流しており、ひとつの穴が見つかれば、ひとをそこへ導く備えをしていたとも言えるでしょう。改めて、敬意を表したいと思うと共に、見ならえと呼びかけられている気がしました。ただし、将棋では詰みを目的としますが、信仰では罪を後ろへ振り払うことが必要となります。