教会がうまくいかないとき
2017年6月21日
『信徒の友』7月号の特集です。どきりとしますね。いつも買う雑誌ではないのですが、時折気になる特集のときに取り寄せてみています。今回、やはりこの特集名は成功です。こうして私が購入したのですから。
特集記事の最初の寄稿に、私はしびれました。いいことが書いてあるから? 確かにそうです。ただ、しびれた一番の理由は、私が去年味わったことを全部ご存じであるかのように、私の経験したのと同じ視線で見える景色がまざまざと描かれていたことでした。また、そのときに私が祈り、上より与えられたことと、驚くほど同じことが、綴られていたのです。
私は無責任極まりないことをしました。ひとを守るためとはいえ、そしてやはりそれしかないだろうと今でも思うことではあれ、職務放棄して蒸発したのですから。漂泊の立場であった中で、神の放ったシェパードに促されて導かれたのが、いまの囲いでありました。拾って戴き、また多くのことを教えてもらいました。
だから、「うまくいかない」でいたのは、今礼拝に集う教会のことではありません。その前に、まさにこの原稿に書かれてあるようなことがそこに起こっていたのであり、その戦いからはいち早く背を向けてしまったというわけでした。
そんなふうで、この特集記事には、この導きがたんに自分の愚かさによるものだけではないこと、神のはからいであったことを確信させる慰めを受けたという次第でした。