母の日のこころ
2017年5月14日
日本では母の日はアメリカの習慣を取り入れて、5月の第二日曜日ということになっているようですが、世界には様々な日に母の日を制定しているようです。また日本の「こどもの日」の定義が母と関わりがあるように決められていることもよく知られています。
アンナ・ジャービスという名もよく知られています。そのエピソードについては、特にキリスト教関係の方々が、あちこちで説明してくれています。ただ、それらの解説は微妙に異なっています。それぞれ何かしらネットのソースを頼りに綴っているので、どのソースに拠ったかが問題であることになり、数の多少で正誤が決まるものではなさそうです。確実なのは、母親を失った娘が、教会で母親の記念にカーネーションの花を献げたことに人々が胸を打たれたことで、その輪が拡がり、ついにアメリカ全体でそれを行事としていくことになった、というあたりでしょうか。
日本では、母の日が青山学院の宣教師たちを通じて普及・定着していったことが、青山学院のウェブサイトに掲載されています。日本で初めてアメリカ式の母の日を祝ったのが、1913年のことでした。アメリカで記念日として定められるのは、翌年のことでした。
アンナの母アンは、南北戦争の中、衛生環境をよくするために活動した方だそうで、そのことから夫や子を戦地に赴かせまいとする「母のデイワーク・クラブ」が先に組織されていた、という背景があるらしいことも今回調べていて知りました。敵味方の区別なく負傷兵を看護する活動もしていたということです。また、戦後は「母の友情の日」を定め、戦争中対立し合った人々を結びつける平和活動を行ったそうです。
母の日は、英語では単数の母です。自分にとりただひとりの母のため、というアンナの願いがこめられています。しかし、一旦制定された母の日は、商業利用されて変貌してしまいます。アンナはそれが我慢ならず、私財を擲って商業化を阻止しようと努めました。菓子の不買運動や、カーネーションを利用しての資金集めに反対し、逮捕されるにも至っています。
アンナは財産を使い果たし、認知症に陥って療養所で亡くなった、と、あるニュースソースは記録していました。
アンリ・デュナンとフローレンス・ナイチンゲール、そしてアンとアンナのジャービス母娘。5月のこの一週間に並ぶ記念日に関わる人たちは、それぞれの仕方で、「戦争」と闘った人たちだと感じます。理想を求めたデュナン、現実をどう改善するのか知恵を提供し実現に至らせたナイチンゲール、家族を守る視点を取り戻させ、商業への欲望のために利用されることに抵抗したジャービス母娘。いま私たちは、母の日をなんのために、また、どんな心で祝うべきなのか、立ち止まって考えてみる必要はないでしょうか。せめて、これら三人のひとの「こころ」を慮る気持ちが、私たちにあるとすれば。