国際ナースデー
2017年5月12日
看護の日と日本では呼びならわされています。5月12日、フローレンス・ナイチンゲールの誕生日です。
5月8日としてご紹介した、アンリ・デュナンと誕生日も近く、業績も似ており、実際同時代に関わりがあったわけですが、日本ではナイチンゲールほどデュナンは知られておらず関心をもたれない、ということを、とくにキリスト教関係の方々に知って戴きたかったために綴っていました。
ナイチンゲールは日本では有名です。しかし、その業績や考え方について、適切に理解されているかどうかはまた別問題です。
1820年に、両親の旅行先のフィレンツェで生まれたことから、その英語読みによりフローレンスと名づけられました。裕福な家庭で十分な教育を受け、とんでもない才能を発揮します。が、貧しい人々の生活を知り、奉仕しようとする心を起こされます。心を病んだ姉の看護をすることをきっかけに、看護を学び、その必要を訴えるようになっていきます。当時看護師は、卑しい仕事の一つでした。また、看護環境には衛生観念もなく、一般的な患者の回復が現代のように真摯に考えられてはいなかったと言えます。それが、クリミア戦争に1854年に従軍すると、フローレンスの知識と知恵は、あらゆる看護の現実を改善しなければならないという気持ちを前面に押し出すこととなりました。
よく白衣の天使と呼ばれますが、当時の看護師はそんなものとは見られておらず、またナイチンゲール自身も、実際の看護に従事していた時間は、2年ほどと驚くほど短いものだと言われています。むしろ「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」と言い、それよりも、統計学の力を以て衛生環境のみならず軍の組織改革にも進言し、その教養と地位とを用いて、政府に働きかけていくことを主眼としました。「奉仕については自己犠牲だけでは長続きしない」と理解し、「犠牲なき献身」が必要だと訴え、赤十字運動には関わりませんでした。そして、ナースという職業を確立することに力を注いだと言われています。
90歳と長生きをしましたが、心臓発作を機に、後半生50年間はほとんど寝たきりに近い生活をしていた言われていますが、その間も、著作や書簡によって、多くの人に影響を与えました。その考え方は、たいへん理論的で冷静です。感情に左右されず、事態をよく見極め、適切な対処をすべく語られています。
看護師の戴帽式や卒業式に立てる誓いとして、ナイチンゲール誓詞を称えるところもありますが、これはナイチンゲール自身の言葉ではなく、その偉業の故にある委員会が作成したものです。しかし、その精神は現在も貫かれ続けています。女子の「なりたい職業」については、年代を問わずつねに上位に挙げられるナース、しかし、労働環境が決してよいとは言えず、まさに衛生環境を劇的に改善したナイチンゲールの精神から遠ざかりかねなくなっており、それが経済的な理由によるものとすれば、私たちは、何を第一とすべきなのかが問われているようにも考えられます。
ナイチンゲールは、看護職とキリスト教のような宗教とは分けて考えることをしたように見受けられます。が、やはり最初のスピリットについては、信仰が生きてはたらいているように思えてなりません。後に日本でも、新島八重(新島襄夫人・大河ドラマになりましたね)が日赤で看護師として務めるなど、それらの関わりは深いものがあると理解されます。
ナイチンゲールの言葉
「ともかくもその人の行動の動機となる力、それが信仰なのです」