世界赤十字デー

2017年5月8日

5月8日は、世界赤十字デー。
 
スイスのアンリ・デュナンの誕生日(1828年)であることに基づいて、1948年に定められたのだと言います。デュナンと聞いても、もしかすると聞いたことがない方も、しだいに増えているのではないかと危惧します。実業家として訪れた、イタリアの戦地ソルフェリーノで傷ついた人を見て、「傷ついた兵士は、もはや兵士ではない、人間である」との思いを抱き、敵味方なく救護にあたりました。それは画期的なことでした。これが1959年。その記録『ソルフェリーノの思い出』を出版したことが、赤十字の創設へと展開していきました。
 
赤十字は奉仕の精神に基づいています。デュナンはナイチンゲールを認めていましたが、報酬に基づく継続性を重視するナイチンゲールは、直接赤十字に関与はしなかったと言われています。日本ではナイチンゲールが有名であるために、赤十字も創った、などと考えている人もいるほどですが、違います。
 
デュナンは、カルヴァン派の教育を受け、実業家となり、キリスト教と福祉や奉仕の精神で生活をしていました。1844年にロンドンで誕生したYMCAの草創期の活動の中にも名を連ねています。「わたくしは 神の手で動かされてきた一つの道具にすぎません」と告げたというそのキリスト者としての歩みを、日本のキリスト教界が殆ど話題にしないのは残念なことです。経済的には不遇な晩年を過ごし他のを発見したスイスの新聞社が「この偉大なる人道主義の戦士赤十字の父を、一人淋しく放っておく世間に、良識があるのかということを私は疑う。人間というものはそれほど恩知らずなのか」と報じたそうですが、私たちも、この問いかけを同じように受けているような気がしてなりません。そう、この忘れ去られたデュナンが、そして巷のキリストが、確かに、隣にも、いるのです。
 
高校時代、私はJRC(青少年赤十字)クラブに属していました。献血車を学校に呼んだこともあります。教会や聖書とは無縁な私でしたが、そうやって関わらせてもらっていたのだと今にして思います。信仰を与えられた後、京都のYMCA進学教室に参与し、最後に教室を任されたこともありました。阪神淡路大震災のときには、仲間が奔走するのを見守っていました。出会った妻(になる女性)は、ナイチンゲール誓詞こそありませんでしたが、戴帽式を経てナースとなったのでした。
 
もしかすると、デュナンを通じて、私は神に引っ張られていたのかもしれません。

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