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言論の自由と新聞社 |
「言論の自由」とは、通りのよい、常識的なことがらを口にするための自由ではない。そんなことなら、なにも「言論の自由」「表現の自由」と力んでみせるまでもないからである。
「言論の自由」とは、百人のうち九十九人までが是認することにただひたり異を唱える権利、九十九人までが憎しみをもって握りつぶそうとすることがらを、ただひとり声を大にして叫ぶ権利にほかならない。したがって、そもそもの最初から、「言論の自由」とは、もろい、あやうい権利なのである。それは多数者の怒りを招き、憎しみを買う、あやうい道をゆくことなのだ。
その道を確保しておくためには、つまり、いざというとき、圧政にあえぐ少数者の声をひろいあげ、それを世界に向かって伝える道を開けておくためには、ただひとつの方法しかない。それは、言論の中身を問わず、あらゆる言論に表現の自由を認める、ということである。この場合、重要なのは、平等・無差別の権利の確保ということであって、いっさい特例を認めないことがかんじんなのである。
チョムスキーはこういう「原理」に忠実にふるまっただけである。……
「言論の自由」とは、百人のうち九十九人までが是認することにただひたり異を唱える権利、九十九人までが憎しみをもって握りつぶそうとすることがらを、ただひとり声を大にして叫ぶ権利にほかならない。