『死海文書 NATIONAL GEOGRAPHIC』
ナショナル ジオグラフィック別冊
日経BPムック
\1400+
2022.9.
大判のグラフィックであることを思うと、この価格は安く感じる。「蘇る2000年前の信仰と生活」という文字が上に掲げられ、タイトルの下には「発見から75年後の真実」と、そそるような言葉が並んでいる。若干週刊誌的な、目立つ引き込みをするタイプの編集は、どうかすると信頼性に欠けるきらいがある。うまい具合にまとめられてはいるが、あまりにも断定的な叙述が多く、いわば大衆的であるという点は否めない。
だが、それでもこのような本が優れている点がある。シリーズに「グラフィック」と名の付くとおり、資料の写真が豊富なのである。百聞は一見にしかずという言葉があるが、目で見る資料は、言葉には尽くせない情報を伝えてくれる。
死海文書の発見の後には、かなりうさんくさい経由があることは聞いているが、本書はそういうところは簡潔に済ます。それよりも、死海文書そのものに私たちを誘ってくれる。さて、それは誰が書いたのか、どのように書いたのか。もちろんそれが分かれば研究者は苦労しない。しかし、考えられるケースを紹介してくれると、私たちもその論争に参加できるような気がして愉快だ。なかなか見られない資料が、部分的であれ視覚的に与えられるというのは、気持ちがよい。
こうして旧約聖書の文書の解説に入る。これは死海文書そのものではない。その意味では、これは旧約聖書のよき解説書としての役割も果たしている。聖書を読んだことがない人も、死海文書に関心をもち開いたら、いつの間にか聖書の内容について知るところが増えるという仕組みであるとすれば、心憎い構成である。尤も、信徒であっても聖書を全部読んでいるとは限らないし、読んだとしても、的確にその内容や意義を理解しているとは限らないから、これは信徒が聖書のあらましを理解するためにも、たいへん役立つものであると思われる。
もちろん、それは部分的に過ぎない。死海文書からすれば、イザヤ書というのは、その長さにも拘わらず、完全な形で発見された文書であり、意義深いものであるから、そうしたことにも触れつつ、歴史の要点を実にコンパクトに説明していて、読みやすいのではないかと思う。また、外典にも少し触れてあり、プロテスタント教会の信徒には馴染みのない世界に目を向けさせてくれるであろう。いまは旧約聖書続編という名称で、合冊となって販売されているので、プロテスタントの方も、ぜひこれの入ったものでお読み戴きたいと思っている。新約聖書のあの箇所はこの続編を使っていたのだ、などという発見も多いであろう。歴史的にも、スザンナやトビトなど、芸術や信仰の点でも知らないではすまされないものがたくさん含まれているのである。
死海文書と呼ばれる文書群の中で、私たちがいう聖書というものは、実は分量としては少数派に属する。そこから、クムラン共同体との関連が取り沙汰されることになる。本書は、このクムラン共同体は果たしてこれとどう関わるか、という点について幾度も言及される。やはりクムランと関係があるのだろう、と推定されてはいるが、断定はできないらしい。
そして最後には、イエスと新約聖書と、この死海文書とがどう関わっていくかについて考察されている。推測に過ぎないが、上手に読めば参考になる。当時、ギリシア語で広められていた聖書と、元来のヘブライ語、そして通例交わされていたアラム語、これらの関係がどうなっていたか、それを考えるひとつのきっかけにもなる。イエスはアラム語を話していたと推測されているが、当時の録音があるわけでもないので、まだまだ考える余地はあるだろう。もちろん、そこにはローマ帝国との関係も入ってくる。言語というものは、人間の思考を生む素材でもあり、また思考そのものでもあるのだから、本当はもっとこだわってよい問題なのである。
死海文書そのものの写真もあり、現地の風景写真もあり、そして歴史的絵画は資料性からすれば間接的ではあるが、それぞれ眺めるだけでも楽しい。分かりやすいこうした資料は、ほどよく手元に置いておくとよいのではないか、と私は思っている。