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『日本の漢字』

ホンとの本

『日本の漢字』
笹原宏之
岩波新書991
\760+
2006.1.

 漢字についての蘊蓄本は世の中に数多い。だが、興味本位で紹介するものが目立つ中で、本書は学術的な研究を背景としているだけに、資料性からしても一流のものとなっている。
 著者はそういう意味では、漢字について様々な角度から研究の欠片を私たちに親しみやすく紹介してくれている。私が触れたのは、その地方だけで使われている独特の漢字、いわゆる方言漢字についての本だった。他の地域では使うことがない漢字、というとえらくミステリアスな気がするが、これは実は県名にまで及んでいる。
 小学生には、普通の熟語をいろいろとつくる漢字の他に、ただ一つの例しか見当たらないような漢字として、県名を書き取りの対象とする場合があるのだ。たとえば「埼」という字はもちろん「埼玉」という地名のために練習させなければならないのだが、小学生に対して、その「例文」としては、「埼玉」以外に出てこないのだ。もしかすると「崎」の字のひとつの形であるのかもしれないが、社会科で必要であることのほか、使う機会がないようである。
 そういう目で見ると、福岡でも「箱崎」にある神社は「筥崎宮」である。この「筥」も他では使われないのではないかと思う。あまりにも身近で見ているために、それとは気づかない、このような漢字を意識させてくれる、そうした著者であった。
 そうして見ると、本書の題は「日本の漢字」である。日本人が漢字をどのように受容してきたか、という視点も、もちろんそこには含まれているだろう。だが読んでゆくと確かに、いわゆる「国字」というものについて、私たち日本人はさほど意識していないことに気づかされる。
 「凪」とか「峠」とかいう漢字が、日本で生まれたということは、子どもたちにも紹介することがあるし、「働」というのは、国字でありながら音読みまで備えられたという、変わった経歴をもつ。こうしたことは、有名といえば有名である。
 だが、私は本書を読むまで、「腺」が国字であるという意識をもつことがなかった。「汗腺」「乳腺」「耳下腺」など、体の部分として、特に医学関係では当たり前に使われている漢字であるが、これが蘭学から医学が研究されてゆく中で、日本人が苦労して生み出した文字だということを、今の今まで知らなかった。
 もちろん、こうした話題ばかりではない。旧字体が新字体に変わる経緯や理由などが、丁寧に綴られていて、知らない背景をたくさん知ることができた。最近では、コンピュータで漢字を使うために、JIS第一水準はもちろんのこと、第二水準以下の成り行きも、知らないことが多かった。初期のワープロでは、第二水準の漢字を用いるときには、第二水準のフロッピーディスクを差し込んで、それから読み込まなければならなかったのを思い出した(これはまた古い話だ)。
 こうした本を出版するのは苦労が必要だっただろうと思う。なにしろ、通常の文字ではない文字が文の中に平気で混じってくる。こういう字がある、とか、こういうふうに自体が変化してきた、とか、当たり前のように綴られているが、いわば特別な文字である。こうしたのは、特別につくらないと印刷できないのではないのだろうか。製作側の苦労も偲ばれる。
 さて、そのような意味でも最も苦労したのではないかと思われるのが、後半の、「一人だけの文字」のところであろう。個人が、筆記するために自分の書きやすいように、ただ自分さえ判別できればよいのだから勝手にルールを決めて省略する、という説明であった。つまり、個人のあみだした文字を、恰も既にあったかのように、普通に文の中に入れられているのだ。
 「門がまえ」の上部をひとつの点で済ますとか、「れんが」を「大」の字で済ますなどは、ポピュラーなものであろう。私は自分で勝手に、「議」の字を、行書の「ごんべん」(これは中国の簡体字もそうであるらしい)にカタカナの「ギ」を書いているし、「機」も同様に「きへん」に「キ」と書く。だが仏教系の大学の学生が、「尺」を「にょう」のようにして、右上に「カ」を書いただけで「釈迦」のつもりで記すらしいというのは、面白かった。この辺りの事情は、「文字から見える社会」という章に記されている。「くにがまえ」の中に「ト」を書いて「図書館」を表すなど、頻度の高い使用を強いられる人が発明した略称は、傍から見れば新しい漢字をつくっていることに他ならないだろう。
 漢字ではないが、「々」が「KYON」の右肩に「2」をのせて、2乗としたことには、著者自身ショックを受けたと書かれていた。
 その他地名や人名の漢字のいろいろ、漢字文化圏の交流やその間での漢字の受け渡しのような事態など、実に興味深いことが次々と報告されて、面白いことこの上ない。アジア圏に幾らか広く存在する漢字文化だが、韓国には韓国の、独特の漢字があるなど、話題は尽きない。個人的には、「コーヒー」の漢字のあれこれがまたとても面白かった。森鴎外は「口へん」を好んだらしいし、中国でもその方面が多いらしい。
 言葉に対する興味は尽きない。多くの人々にとって、尽きないでいてほしいと願う。言葉は人間の思考をつくる唯一のツールである。著者は本編を、次のように結んでいる。それを最後にご紹介しておこう。語呂合わせのように漢字を人名に使う風潮の中に、漢字の意味について全く知らないでやっていると思しき例が見られることを憂えての流れであった。
 「日本人がみずからの文字についての観察を放棄し、思考を失うときが来れば、また、過去から続く営為をふり返ることもしなければ、的確な選択も創意工夫もなされなくなり、日本の漢字は過去の遺産となるしかないのであろう。」




Takapan
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