『もっと猫に言いたいたくさんのこと』
春山貴志監修
池田書店
\950+
2013.8.
偶然書店で見かけ、ぱらぱらめくると温かな語り口調が満ちていたので購入した。格安であったのもその理由である。
一部写真もあるが、多くはモノクロでぼやっとしたイラストがちりばめてあるくらい。地味な新書である。しし、猫に向けての愛情がこぼれ落ちてきそうなくらい、たくさんこめられている。
何気ないひとつの場面で、猫に対してつい呟いてしまうような台詞、それが各項目のタイトルとなっている。
「うちの子になる?」「あれ、太った?」「やっぱり、そこにいたのね」「わかっているのね」「背中かゆいの?」「どっちも同じごはんなのに」「いつからそこにいたの?」などと、つい猫に向けて口に出してしまう言葉が、そこかしこに詰まっている。表紙によれば、それは84並べられているのだそうだ。これは、猫と付き合っている人には、どれもすぐに「あるある」と言いたくなる言葉であるし、実際にそう言ったことがあるだろうと思う。猫を見ていると、つい、そうした言葉がこぼれてくるのである。
一つひとつの項目が短く、読みやすいのと、それでもその中に、役に立つ情報がたくさん含まれていることに、読んでいて驚く。読むだけで優しい気持ちになっていくのもうれしいが、なるほどそういうことなのか、と思うことが度々であり、そうしたグッズがあるとよいのだ、と知らされることもあり、なんとも不思議な魅力の詰まった本である。
これは「もっと」と付いている題の本である。見ると、それの付かない元々のものがあるらしい。調べて、即刻注文した。今度は古書コーナーの安売りというわけにはゆかないが、全く気にしないでいられる。
家でまともに飼ったことはない。強いて言えば、京都の学生時代に下宿が一階で、庭先を通る猫が時折部屋の中に入ってくることがあり、煮干しくらいは食べて行ってくれた。人間用だからきっと塩辛かったに違いない。ごめんね。しかし布団の上に載って香箱座りしてくれると、暖かかったし、炬燵の中で子猫を産んだのには驚いた。猫に対して語りかけるということは、あのときにずいぶん鍛えられた。そしていま、公園の地域猫との交流に癒しを与えられてもらっているが、同じように猫たちとのコミュニケーションがあり、やはり話しかけている。
そうした日常が、この本には溢れていたのだ。
ただ、私が直接体験したことのないところで、本書は結ばれている。それは、猫とのお別れのことだ。いくつかの言葉でその時の様子が説明され、また具体的にどのようにするべきなのか、も教えてくれている。実用的にも、情緒的にも、実に痒いところを突いてくるのだ。それはどうしてだろう。私はやはりそれは、愛情なのではないかと思っている。著者の猫に対する愛情が、実によく伝わってくるし、またそれは、猫の病院の院長でもあることから、確かな知識と経験に基づいているものであるが故に、信用がおけるものとなっている。悲しい別れではあるが、その悲しみをそのままに受け止め、そしてまた希望へとつながっていくように、人間に対しても声をかけてくれる、よいお医者さんである。
結びは「おわりに」という短いコーナー隣っているが、そこには、猫の記憶保持能力はどのくらいか、ということについての説と実際の出来事が簡潔に触れられている。地域猫との交流をしている者として、少しだけ付け加えさせて戴く。猫は、確実にひとを覚えている。たくさんの人との交流があるから、一瞬、誰かな、と考えることはあるが、すぐに、この人はこういうタイプだ、という記憶と共に接してくるのだ。餌をくれる人、撫でてくれる人、膝に載せてくれる人、その他、いつもこの人はこのように、と猫たちはそれぞれちゃんと覚えている。最初は近づかなかった子も、一度親しくなると、呼ぶだけで姿を現すようになる。猫は、記憶があるないの問題ではなく、人との信頼と愛情におけるつながりを、確かにもっている、と私は確信している。