本

『夏への扉』

ホンとの本

『夏への扉』
ロバート・A・ハインライン
福島正実訳
ハヤカワ文庫
\740+
2010.1.

 SFである。時間旅行ものである。それはいまでもけっこう物語として作られる。映画にもなる。その度に、やれこれが矛盾するとか、理屈に合わないとかいう批評が飛ぶ。ストーリーとして何かを生かそうとして、時間的に飛躍する設定がなされるのだが、そのロマン性よりも、いつしか、タイムマシンとして奇妙だ、などという声が出てくるのだ。
 そもそも、時間旅行はできない、と物理学でも言われている。また、当然普通に時間を行き来すると、矛盾が生じるのも確かだ。一方、高速で移動する者は時間が遅くなるという物理的見解もあり、それは高速の乗り物に乗るだけで確かに遅くなる、という説明もなされている。何億分の一秒か、というその理論に、落胆することは確実であるのだろうが。
 1956年の作品である。家事のできるロボットの開発を通じて、主人公ダンは、親友マイルズに裏切られる。美人秘書ベルに騙され、ベルはマイルズと組み、会社を乗っ取ってしまうのだ。失意のダンは、愛猫ピートと共に冷凍睡眠で30年後の未来で目覚める計画を立てる。
 そもそもこの事件自体が1970年であり、冷凍睡眠から目覚めるのが2000年となっている。どちらにしても私たちにとっては過去であるが、ハインラインが執筆したときには、どちらも未来である。冷凍睡眠が実現できているわけではないが、それほど大きな違和感を抱かせないのは、科学に対するなかなか適切な見通しであったと言えるかもしれない。
 30年後に未来でも、ダンの頭にあるロボットの設計については役立つものがあった。マイルズはとうに死んでいた。ダンは、今度はタイムマシンによって再び1970年に戻ることにし、過去を改造することに成功する。
 当初まだ幼かったリッキィという少女が、このダンの人生に花を添え、猫のピートもいい味を出している。それぞれのキャラクターが生き生きと活動し、ロマンチックな要素も持ち合わせている。この物語で描かれている未来像が、いまなお色褪せないのは、作者の天才的素質の故でもあるだろうが、やはり見ていてどこか清々しい印象を与える。
 時間旅行という設定は、ツッコミを入れるところがいろいろあるだろうが、私たちは精神的には、いつでも時間旅行をしているようなものである。もしあのとき、別の選択をしていたら、人生はどうなっただろうか。人生は常に岐路に別れていて、一度きりのその選択が、何かしら未来を知った形でできなかったものか、と誰もが思うことがあるだろうと思う。
 若い技術者ダンが、その願望の身代わりを果たしてくれるかどうか、それは個々人の読者によるものであろうが、ひとつの架空の物語を旅することで、私たちは案外気軽に、時間旅行を愉しめているのかもしれない。
 日本では、2021年に、舞台と時期を大きく変えて、映画化している。あいにく見ていなかったが、機会があったら見てみたいとも思う。しかし、原作は原作なので、本書と向き合っている時間の、わくわくとした感覚を、もうしばらく胸に懐いていたいような気がする。
 個人的な要望としては、もう少し猫のピートが活躍する場があったら、という余計な思いも浮かんできた。尤も、途中からピートの行方が分からなかったことが、ダンの再冒険のひとつの原動力になっているかもしれない、と考えることで、よしとしておこう。




Takapan
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