『名門校の本棚』
平林理恵
日経BOOKプラス
\1600+
2025.11.
サブタイトルは「名門校の先生たちに聞いた、人生を支える一冊」。著者は、インタビュー記事を本にまとめるのがお得意な方であるらしい。
単なる「学校の先生たち」ではなくて、「名門校の先生たち」としたところが、売り手の技であろうか。思わず手に取りたくさせるものである。きっかけは、日経PBの担当者が、中学生のお子さんの本棚に、自社の渋い古典の本があったことだった。学校の課題図書だというのである。そこから、高樹のぶ子さんに依頼して「若い世代に作品の魅力を届けたい」ということで、出張授業が始まり、ついにウェブメディアで、「名門校の推薦図書」の連載が始まったというのである。
中高生に読書の魅力を届けたい。伝えたい。教養あるおとなの多くが、そう願う。あれやこれやと策を練る。だが、読書離れは止められない。否、学校のこうした努力により、実のところ読書量はそれなりに増えているのだ、ともいう。しかし、それにしてもこれだけ本が溢れた中で、どんな本に出会えるというのか。思い込みの激しい老人の中には、昭和どころか明治に遡るまでの名作こそ文学だ、と振りかざす者もいる。実のところ自分自身も大して分かってはいないものを、懐かしさだけでこれこそ価値がある、と吠える者ほど、いまの時代の作品を読み解けないでいる。
だが教育現場の教師たちは知っている。中勘助の『銀の匙』をひたすら読み通す授業を展開したという、灘校教師橋本武先生の伝説もある。そこまではいかなくても、国語の授業に食らいつく生徒を預かる進学校の教師たちは、少しばかり背伸びをさせてでも、こうした本に出会ってほしい、という願いを、比較的言いやすい立場にあるかもしれない。だから「名門校」でもよいのである。本気で、中高生に薦めたい本はこれだ。ふだんからこの本を薦めている。そんな声が、学校内で眠っているのはもったいない。志あるすべての中高生に、そうした紹介をしてくれないか。私もまた、そのように願っていた。
しかも、ただ本を読んでほしい、というだけの狙いではない。「学生時代の読書体験がその後の方向性や価値観、仕事観にどう影響したのか」を、卒業生たちが書き込んでくれた。本は、いまはいない人、遥か遠い国の人の言葉も届けてくれる。時間空間を超えて、人と出会い、対話できる媒体である。偶々時と場所が一致したために出会える人物とは違い、格段に広い世界に私たちを連れてゆく。ただ、余りにもいまは本が多すぎるから、つまらない本も余りに多くて、何を読めばよいのかを探すのは途方もない冒険となりかねない。「良い本」の紹介は貴重である。
本書には、古典から科学、社会学など、いろいろなフィールドでの紹介がある。古典と言いながら、万葉集の良さを伝えるために、新海誠映画監督の『言の葉の庭』ですら推薦図書に挙がってくる。裁判記録をベースに書かれた『つみびと』(山田詠美)、辞書編集の実態を背景に描かれ、ドラマやアニメにもなった『舟を編む』(三浦しおん)、沖縄から暴力を考える『海をあげる』(上間陽子)、立ち止まって考えることの意味を告げる『水中の哲学者たち』(永井玲衣)、政治的な関心を呼び起こす『ボーダー 移民と難民』(佐々涼子)など、前半だけでも溢れんばかりの勢いで、先生方の情熱が零れてくる。
子どもたちの言語獲得については『ちいさい言語学者の冒険』(広瀬友紀)、分厚いが私が本書を読んですぐに買ってしまった『メディアリテラシー 吟味思考を育む』(坂本旬・山脇岳志編著)、アウシュヴィッツ収容所から生還した精神科医による『それでも人生にイエスと言う』(フランクル)、水俣病を描く名著『苦海浄土』(石牟礼道子)、科学のみならず社会学や経済学でも現代に生きているという『ブラウン運動』(米沢富美子)など、いくら紹介してもしきれない程の本が、本書には詰まっている。
単に、本の紹介をしているばかりではない。本に対する熱い思いや、中高生に日々切に願っていることなど、教育について、あるいは若者たちの未来について、心の中に日ごろ隠してはいても、実は言いたい、というような心が、ふんだんに語られている。関心のある本があったら、探して読んでみたらいい。もしそうでなくても、素晴らしい教師たちの息づかいを感じるだけでも、本書に出会う意義があろうというものだ。
最後に、私が読んで涙した、最後の先生のインタビューに触れることにする。聖光学院の野谷健先生である。文学が何故必要か。それは、「戦争」の対義語が「文学」だからだ。ある論文がそれを主張していたが、やがて慶應義塾大学文学部の入試問題に、小論文の問題文としてそれが出題されたという。それを読ませた後、「文学が戦争の対義語たり得るかについて考えを述べよ」と迫るのである。かの論文の筆者である岡真理は、『アラブ、祈りとしての文学』を発表した。文学は、さらに「祈り」であるところにまで達しているのである。そこでは、文学が、「祈ることしかできない小さき人々に捧げられた祈りでもある」と結ばれているのだという。文学は、祈ることができる。野谷先生は、「その力を信じ、国語科の教諭としてやっていこうという気持ちがこの頃に固まったように思います」と告白している。
また、野谷先生は、古典を学ぶ意義についても、とてもよいことを仰っていた。「作品を通じて当時の人々の考え方や、ものの見方を学ぶことには大きな意味がある」と言うのだ。それにより「日本の文化や社会に深く根ざした、ものの見方や価値観」を私たちは知る。これは、私たちの内にも脈々と受け継がれている。それは、「自分自身を正しく認識すること」にもなる。そして、「未来の文化を創造していく」中高生のためにとても大切なことなのだ。
本書の最後に紹介されたのは、この野谷先生による『ライオンのおやつ』(小川糸)であった。島のホスピスに向かう「雫」が見たものは何だったか。一本のろうそくの中に人生が見えた。自分の命をすり減らすその輝きが、他の誰かの光になるのだ。人はそうやって、互いに照らし合っていたのである。
本書に対して、最後に一つだけ、苦言を申し上げよう。頁の関係、コストの問題は重々承知で、これを言う。紹介された本の一覧を掲げ、索引にして戴きたかった。もちろん読み物として本書はあるべきものだろうが、ここから子どもたちに薦めたい本が、幾らでもあるのだ。否、子どもたちに、ではないかもしれない。大人も、いまから新たに出会う機会が、同じように与えられているに違いないからである。

た
か
ぱ
ん
ワ
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ド