『急に具合が悪くなる』
宮野真生子・磯野真穂
晶文社
\1600+
2019.9.
2026年5月、日本の映画界にうれしいニュースが響き渡った。ヴィルジニー・エフィラと共に、岡本多緒が、日本人俳優初の快挙として、カンヌ映画祭の最優秀女優賞を受賞したことが報道されたのだ。映画の題は「急に具合が悪くなる」。そして、本書が『急に具合が悪くなる』。映画の原作である。
だが、本は映画とは殆ど関係がない。否、6月封切りの映画については、私は何も知らない。設定もストーリーもまるで違うから、これほど違っていれば、原作と違う云々という話すら起こらない。
では、原作は何かというと、哲学者と人類学者の往復書簡である。2018年9月、福岡でのイベントで二人は出会った。病気のことは殆ど誰にも話していなかった宮野真生子は、この人なら、と磯野真穂に病気のことを話す。これをきっかけに、二人の間に往復書簡が始まる。本書は、その10便を収めたものである。
宮野さんは、福岡大学人文学部の准教授であった。家族の問題について哲学するような研究の本が出されているが、私はつい身近なところにいた方のことを、存じ上げなかった。九鬼周造の研究を20年以上も続けていて、本書でも、九鬼の代表作のひとつである偶然性を問う哲学が、実に大きな柱となっていた。
本来、とても執筆などできるような状態ではないと思われる。突如として具合が悪くなるような症状を抱えながら、仕事をこなしていたというのが、信じられない。細かな過程をここで記すことは避けるが、大学の仕事も、各地でのイベントなども、こなしていたというから驚異的である。
しかし、病魔は蝕んでくる。急に具合が悪くなる、ということは、書簡の中でも確かにひとつのキーワードになっていたし、それが本のタイトルになるというのも、販売戦略としては申し分なかっただろうと思われる。これが、「偶然性と人生」などという題だったら、一体どんな人が手に取るというのだろう。本の表紙も、人目を惹くユニークなイラストで、タイトルの文字もポップそのものである。
だが、命の果てを見据えつつ、しかし二人の間には、哲学的思考を軸にして、生きることの意味を問い、ありきたりの励ましや感情を晒すようなことではなく、人生に真摯に向き合い、そして問いかけていた。哲学は問うことだ、という見解もあるが、残された時間の中でただ問い続けるだけでは、踏ん切りもつかない。結論の言葉を探しながら、対話は進められる。
実に、対話することで、自分の言いたかった言葉が見出されてゆくのだ。これは、少しばかり考えてみれば誰でも気づくことである。自分の中に、自分の出したい答えがすいすいとひとりで出てくる、ということはありえない。友だちも、問いかける相手もおらず、自分の言いたいことを並べてこれが正しいとほくそ笑むような者もいないわけではないが、それはもうただの自己愛の自己中心で無知蒙昧であるに過ぎない。対話という、他者を通してのみ、自己は見出される。二人は、哲学的にそういうことをも見出してゆく。
不思議だが、そこに「神」は登場しない。神を登場させると、哲学が止む、と考える人もいるだろう。神によって結論づけられることで満足する、という道を、二人は取ろうとはしなかった。むしろ、必然に対する偶然という課題を、九鬼の哲学を契機として、考察の頼りにしようという意気込みで、常に前進しようとする気概を感じた。
書簡は3か月ほどの中でなされたという。後半の書簡の中で、磯野が突きつける。宮野もそれを受け取り、支えとする。こんな言葉だ。「宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ」
哲学的思考に慣れない方には、使う言葉や言い回しが、不明に感じられることがあるだろうと思う。だが、すべてが論文のように書かれているわけではない。殆どが、人生を真剣に見つめる人、限りある命を見つめたいと思う人、あるいはいま病気を抱えているか、抱えていた経験のある人、こうした人には、十分伝わるものに満ちているのは確かだ。映画とは関係なく、自身が「生きる」ために、何かしら力になるのではないかと思う。本当に、命を懸けて綴っていた書簡の言葉なのである。こういうところに真実を感じることがないような、人でなしでないのであれば、伝わるものが、たくさんあるはずである。
もし在庫切れであっても、電子書籍で読むことができる。紙と比べて遜色はない。私も、それで読んだのだから。

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