『日本の教師に伝えたいこと』
大村はま
筑摩書房
\1400+
1995.3.
国語教育のために尽くした教師。易しい言葉で、ズバリと教育論を突きつける。それは、自らの実践の苦労の末に得たことだったので、確かに言えることなのだ。理論で片づけているのではない。現実に、子どもたちの反応があり、子どもたちが解答を出している。それに基づいて、他の国語教師にも指導することができるようになったというわけである。
本書は、各地で話をした中から選んで、その記録をもとにまとめたものだ、と記されている。そのため、各章で語られている中で、言及が重なっていることもあるのだというが、読んでいて殆ど気にならなかった。
私も心がけているが、「よく復習しておきなさい」「しっかり勉強しておきなさい」などと子どもたちに言うのは、抽象的に過ぎてよろしくないだろう。だが、はま先生は、その「なさい」に問題があることを先ず指摘する。
話し合う場をどうつくるか、については、私が塾の現場ですることはまずないので、いろいろ学ぶ思いで読ませて戴いた。「音声」から理解するということは、本を読むときのように、以前のところを読み直すというようなことのできない場面である。また、発言する方もまた、それを心得て発言する必要がある。こうした原理的な点からも、考えるべきことが教師にはあるだろう。
また、子どもたちが、表す言葉をなかなかもてないことは分かっているものの、どうしたら発言できるようにもってゆくことができるのか、という点については、経験がないに等しかったからである。自由に発言させようとすることや、自分の中から答えを見つけさせようということは、教師として何もしていないことになる。何らかの形で教えなくてはならず、子どもたちに考えさせなければならないが、そのための道をつくり、きっかけをもたらすところに、教師の腕がある。教師の存在意義があるのだ。子ども自身、自分がどう言えばよいのか、どころでなく、自分が何を考えているのか、十分に分かってはいないのだ。だから、「教師のてびき」が必要なのである。それが、「教える」ということなのだ、とはま先生は強調する。
これは1990年代頃であろうか、本書ではしきりに「単元学習」ということが言われる。その現場のレポートのようなこともなされているが、周知のこととしてさして説明がなされていないように見える。もちろん、読んでゆけば意味が分かるのだが、関連する学習内容を、ときに数週間にわたる「ひとまとまりの単元」として計画し、実践する指導法というようなものである。私の知る中では、いわゆる附属中学でよく聞く授業であったが、それに対してはやはり当初から批判や疑問もあったらしい。はま先生は、それを推奨している。教師自ら知らないことがある前提で、子どもたちと共に学ぶのだというが、そこに「身をもって指導する」という意義があることを伝えようとするのである。そのとき、教師自身の読書力や読書量の不足を指摘している。読書指導をするには、教師自らが読書人でなくてはならない、というのである。だから、同じ話し合いを計画した場合でも、あり得る展開を予め準備しておく、というのが教師の姿勢である、とも行っている。もちろん現実にその通りになるわけではないが、備えをしておくことが、指導につながることを教師が自覚しておかなければならない、というのである。
単元学習については、具体的な事例がたっぷり紹介されているから、読者は現場にいるかのようにその様子を知ることができる。本書の醍醐味のひとつである。そのとき、子どもたちの中に「ことば」との出会いがあり、ことばを使いこなすための訓練がなされる。「ことば」が豊かであるということは、それが豊かな生活である、ということなのである。
それから、教育を「一人ひとりを育てること」「個人個人の問題」として理解することは、幾度か繰り返されているものであり、そのために一人ひとりを知ることが求められている。これはやはり肝に銘じておかなくてはなるまい。そこには、本を読むということがどう位置づけられているか、も問われる。その上で、著者は、「耳学問」という言葉にハッとさせられる。聞くことが軽視されている証拠ではないのか。ひとと話し合って学んだり解決しようとしたりすることの大切さをも告げる。読書でも話し合いでも、「要点」を掴むということが、学ぶことの基礎にあるのだ、という指摘は、私にも強く迫ってきた。それができるようになることが、教育というものの本質であるように感じられたからである。
その他、漢字の練習や、読書感想文の指導など、現場で問題になる事柄が一つひとつアドバイスされてゆくが、その意味でも、最終章の「国語教師に望まれること」は、何度でも読み返したいところである。正にここに、本書の「要点」があると言えるのではないか。
幾人かの、「教え子」たちの声が短く最後に載せられている。国語がこんなにも豊かな人生を生み出す授業であるのだ、ということを改めて強く思わされる。私の授業が、そんなきっかけになることができたら、というささやかな願いをもってはいるが、とてもはま先生のような信念と労力をそこに有し続けることはできそうにない。でも、心の内では、願っている。まだまだ教えられることばかりである。

た
か
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