『携帯遺産』
鈴木結生
新潮社
\1700+
2025.6.
ディケンズが場の中心にいる。そして「遺産」とくれば、『大いなる遺産』という版自叙伝のような作品である。2026年5月に、NHKのEテレ「100分de名著」で、その作品が取り上げられた。どうしてこれなんだろう、と疑問に思っていたが、もしかすると、その一年ほど前に、この『携帯遺産』が出版されたことに関係していないか、と邪推している。
本作は、鈴木結生の、芥川賞受賞後の第一作である。
同じ2025年の1月に発表された、『ゲーテはすべてを言った』が第172回芥川賞を受賞している。それは、2024年の秋に雑誌に掲載されたものだった。そして受賞後の2025年春の雑誌で発表されたのが、この『携帯遺産』である。
100分de名著の企画云々はともかくとして、ゲーテの件にもまして、衒学的な空気が終始漂い、ちょっとした仕草や風景にも、文学作品とリンクさせずにはおれないような書き方をする。もちろん聖書も時に深く関わってくるし、聖書を知っていることを前提に突っ走ることもあるから、読者は大変である。だが、そうした点は、隅々まで味わいたい人がこだわればいいし、意味の分かるジョークめいた言及に、時折クスッと笑えばよいものであろう。
ファンタジー作家の「ふねくら・あん」が物語を流してゆく。これがアナグラムであることはすでに有名であるらしい。「ANN」とした上で、ローマ字かするとよいようである。しかし彼女の作品は、ディケンズとつながるものがあり、やたら文学には詳しい。著者自身の姿がそこに描かれているであろうことは予想がつく。
女性編集者から、自叙伝を文学的なものとして書いてくれるように依頼を受ける。ディケンズもまた登場し、偉大な作家の道を辿るような案内である。
また、按の家族の中にもいろいろな展開がある。母の病気には困っているし、姉の愛の夫も何かしら謎である。そのどのキャラクターも、ディケンズの作品などへのオマージュがあるという話もある。そうでないと、登場する意味がよく分からないのは事実なのだ。
まあ、本作の解釈というものは、ご本人以外は言い当てることができないものなのかもしれない。ただ、タイトルの「携帯遺産」は、元来別の題名で一度書かれるものである。しかし、それはよしとされなかった。按自身も、生き別れた父親の姿をどこかで追っている中で、様々な思いが行き交う。その迷いのようなものが、もうひとつ作品をすっきりさせなかったのかもしれない。
ディケンズに由来する「遺産」も、何か固定資産のようなものではないのだ。「携帯」は、その「固定」に反している。動く資産、形をもたない宝物、しかも、常に自分に寄り添い、自分を育んできた、大切なもの。クリスチャンとしては、そこに神の霊を覚えるものだろう。だが、聖書のエピソードは周知のものとして触れつつも、それを大上段に構えない著者の描き方は、案外新しい聖書への誘いであるのかもしれない。あまりにもさりげないので、大抵の人は気がつかないのではないかと思うのだが、畑に宝を見出して人は、そこに、自分のもてる全財産を注ぎ込んでも、手に入れたいと思うようになるのかもしれない。
それにしても、文学に疎い私には、読むのがしんどい。思想的な事柄については、よく勉強しているな、と思えるが、ディケンズとくれば、『クリスマス・キャロル』と幾つかの短編がいいところだ。その意味では、愉しみが削られたとも言える。著者がもう少し年齢を重ねたら、文学ヲタクの活かし方が、また違ってくるかもしれない、と期待しようか。

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